立花さんは父のような優しい表情になって、話を聞いてゆきます。当時、彼女は17歳。文春の記事で初めて、母と父の関係を知ったこと。突然、公道で取材を受けたこと――。語り尽くすこれまでの人生は、1つのレポートの重い影響に全身が震えるようでした。

 彼女は繰り返し、立花レポートのせいではなく、私は私自身の問題で人生を壊していたと語ってはいましたが、だからといって報道側に責任がないとはいえません。長時間の対談の最後に、あつ子さんが聞きました。

「田中角栄は、オヤジは、どういう人だったのでしょう」

 立花さんが答えます。

「私も年をとり、歴史を勉強して、あの人はなかなかの人だったなあという気がします」

「その一言で十分です」

 あつ子さんはそうおっしゃって、対談は終わりました。私の中の永年の澱のようなものもスーッと消えていく、そんな夜でした。

立花さんの本を読み続けたから
話してみたくなった

『田中角栄研究』に人生を狂わされた娘が、立花隆さんと対峙した夜佐藤あつ子さんの著書

 その後、あつ子さんから、母、佐藤昭にあてた田中角栄の手紙を全文提供いただき、月刊『文芸春秋』で記事にしました。解説は、もちろん立花隆さん。

 私は、時間の経過が事を解決し、どんなことがあっても、「昨日の敵は今日の友」になり得るとは思いません。やはり、人柄が問題を解決します。どれだけ真摯に仕事をし続けているか。それを人は見ているのです。佐藤あつ子さんは、ずっと立花さんの本を読み続けていました。だからこそ、立花さんと話してみたくなったのだと思います。