佐藤優氏絶賛!「よく生きるためには死を知ることが必要だ。」。「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。死に対して、態度をとれない。あやふやな生き方しかできない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』が発刊された。コロナの時代の必読書である、本書の内容の一部を紹介します。連載のバックナンバーはこちらから。

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農民のための政治

 孔子の時代、鉄器が普及して、生産力が高まり、農民の地位が向上した。農民は軍人となり、行政職員として政府に加わる者も出てきた。孔子自身が政治を志し、挫折して、後身を育てる学校をつくった。農民の社会進出を背景にしている。

 孔子は、若者を教育し、行政職員にふさわしい能力を身につけさせた。文書の読み書きを教え、そのほか行政職員としての行動規範を教えた。そのため古書籍を蒐集(しゅうしゅう)し、編纂(へんさん)してテキスト(経典)にした。テキストは伝統的だが、それを学ぶのは新興の農民階層であった。

 教育を受けた農民の代表が統治を行なう。これが、儒学(儒教)の本質である。軍事力や伝統による統治ではなく、教育による統治。能力があるものが統治するという考え方は、とても近代的だ。政府の正統性も主張しやすい。儒学が中国で成功したのはそのためだ。

 能力のある人びとを、農民階層の間からリクルートして、統治階層に加える。このシステムが、科挙である。1000年前にはすっかり定着した。

祖先崇拝

 儒学が重視する行動規範は、「忠」と「孝」である。忠は、生きている統治者に服従することである。政治に、死者のための場所はない。「忠は、政治的リーダーに対する服従である」。

 それに対して孝は、中国の人びとが親に服従し、祖先を崇拝することをいう。「孝は、血縁集団の年長者、とくに親に対する服従である」。

 農家の家族経営は、孝によって安定する。農民は、高齢になっても子どもがいるから安心だ。死後は名誉と尊敬をえられる。農民がやる気になって、税収も安定する。孝を強調すると、政治にプラスになるのである。

 孝は、親が死んでも、終わるわけではない。親の名前を位牌(いはい)に刻み、廟(びょう)に祀って礼拝を欠かさない。このやり方を何代にもわたって続けると、大きな血縁のネットワークができあがる。血縁は観念だから、村が物理的に破壊されても壊れない。政治的動乱や災害の際にも、人びとはこのネットワークを頼りにする。末端のローカルな社会が安定すると、政治は手間が省ける。祖先崇拝は、儒学の大事な柱。儒学(儒教)の成功の秘密である。

 中国の人びとは、親はやがて死に、祖先の列に加わると思っている。祖先がいなければいまの自分はなく、社会的存在もない。ちゃんとした祖先と親族がいるから、自分もちゃんとしていられる。

 中国の人びとは、自分はやがて死に、祖先として子や孫に祀られると思っている。子孫がしっかりしなければ、自分がきちんと祀られるかどうかわからない。いずれにせよ、中国の人びとにとって、死者は、この世界で生きていた血縁関係をそのまま保存した存在だ。抽象的な霊魂になって、死者の国で自由に暮らすわけではない。輪廻するわけでも、救われて神の国に入るわけでもない。