今日一日を始めとし、終わりとする
今年、僕は50歳になると言った。学生時代の友人が、当時から会う度口癖のように言っていたことを、この歳になって思い出す。ちなみに、その彼は数年前にサラリーマンを辞めて起業した。今、大成功を収めている。
「譲治(僕の名前)さぁ、人生50年、たかだか2万日だぜ。やることやんなきゃ、俺たちの一生、あっというまに終わっちまうぜ!」
江戸時代の臨済宗の傑僧、正受老人曰く「一大事と申すは、今日(こんにち)只今の心也(なり)」と。僕なりの解説が許されるなら、「今日一日を始めとし、終わりとする」となる。だから、「今日」が大切なんだ。もう戻らない昨日の過ちを悔い、未だ来ない明日の夢に溺れて、今日を疎(おろそ)かにして翌日あることなし、だ。これまでの50年は今日以後のための準備だと思うようにしたい。つまり、これからだということ。
昨年末、拙宅に一つの小包が届いた。送り主の欄をよく見ると、元首相のお名前が直筆で書かれていた。封を開け、中のそれを手に取った時の感激が今も忘れられない。それというのは、サミュエル・ウルマンの「青春(原題:YOUTH)」の詩を大きな色紙一面に書いて下さったものだった。
ご存知の方も多いだろうが、「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、こころの様相を言うのだ。(中略)年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに始めて老いがくる」という感動的な書き出しの詩である。
元首相は、ある書家から贈られたその額を、総理官邸執務室にずっと掛けていたという。近く僕が節目の歳を迎えるので、「北野君、若い時の優れた想像力、逞(たくま)しい意思、情熱、冒険心を決してこれからも無くすことのないように、ますます精進しなさい」と激励のメッセージを「書」にしたためて下さったのだ。ありがたい、心の底からそう思った。
今日これから、僕らの人生が動きだす。