記者発表まであと1週間に迫った6月9日、ソフトバンクの孫正義さんが、十数社のメーカーとともに、MSXに対抗する統一規格を出す用意があると発表。「アスキーがMSXをどうしても強行するというなら、日本ソフトバンクも別の統一規格を提唱して主導権争いをする」と、僕に「挑戦状」を叩きつけてきたのだ。

 孫さんは、当時、「日の丸ソフトが必要だ」と言っていたから、マイクロソフトが仕掛けるMSXには乗らないだろうと思って、声をかけずにいた。それが、土壇場で昂然と反旗を翻したのだ。これには、正直まいった。

 孫さんは、僕の2歳下。当時、ソフトバンクの創業から2年もたっていなかったと思うが、パソコン用ソフトウェアの流通では圧倒的なシェアを収めていたから、業界では強い影響力をもっていた。メディアでは「天才・西と神童・孫」などと言って、ライバル関係を煽っていたから、この孫さんの「挑戦状」で周囲は騒然となった。「MSX戦争」と仰々しく書き立てるマスコミもあった。

孫さんと4時間くらい話し合った

 まぁ、でも、僕には僕の「義」があってやっていることだ。

 当時、業界を二分していた「ビデオ戦争」の二の舞になれば厄介とは思ったが、「やれるもんやったら、やってみぃ」という気持ちでいた。

 しかし、ここで間に入ってくれた人がいる。MSX構想の初期段階から密に連絡を取り合っていた松下電器の前田一泰さんだ。実は、孫さんと僕を最初に引き合わせたのは前田さんだった。孫さんが松下電器に売り込みに来たときに、たまたまいた僕を紹介してくれたのだ。

 その前田さんが、6月26日に、孫さんと僕をホテルオークラのスイートルームに呼び出した。鰻か何かを注文してくれて、前田さんが「狭い業界で争ってもしゃーないやろ」といった感じで、二人の間を取り持ってくれた。夜の9時くらいから、深夜の1時くらいまで、3人で寝っ転がって話し合った。

 孫さんには孫さんの言い分がある。僕には僕の言い分がある。なかなか話は進まなかったけど、前田さんの手前喧嘩もできずにいると、最終的には、僕が「規格のライセンス料を安くする」といった譲歩をするかわりに、孫さんは「対抗規格」の旗をおろすことで話は決着した。

 正直なところ、「しようがない」と思って手を打ったけれど、内心、「悔しい」という思いもあった。

 でも、今となれば、あれも懐かしい思い出だ。いや、いまや日本を代表する経営者になった孫さんと丁々発止とやりあったんだから光栄に思わないといけないのかな……。

 孫さんは、嫌味も一流だった。