僕について、こんなふうに語っているのを読んで、思わず笑った。

「日本のパソコンの歴史を見たとき、西さんの果たした役割はあまりにも大きかった。マイクロソフトを日本に持ち込んだのは西さんであり、MSXや初期のパソコンの概念を提案してきた。もし西さんがいなかったから、日本のパソコンの普及は少なくとも一年は遅れていたのではないか。一人の人間が歴史に一年の差をつけるだけの影響力をもったとしたら、それはすごいことだと思う」(『西和彦の閃き 孫正義のバネ』小林紀興、光文社)

 ずいぶん褒めるから何かなと思ってたら、「一年」って……。えらい嫌味だけど、うまいこと言うから笑ってしまう。

 お返しというわけではないが、僕からも一言だけ。最近、孫さんは「事業家」ではなく「投資家」になってしまったように見える。別に、それに文句があるわけじゃない。だけど、僕がライバル心を燃やすとともに、リスペクトしていたのは、「事業家・孫正義」だ。投資家は別の世界の人だから、僕は少し寂しく思っている。

 すっかり話が逸れてしまった。

 ともあれ、前田さんの手打ちによって、孫さんが仕掛けた「MSX戦争」は、2週間ほどで鎮火した。ただ、それだけでは終わらなかった。翌7月には、任天堂がファミリーコンピュータを発売。今度は、任天堂ファミコンと戦うことになったわけだ。

孫正義氏が仕掛けた“MSX戦争”が、あっけなく決着した舞台裏【西和彦】西 和彦(にし・かずひこ)
株式会社アスキー創業者
東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボラトリー ディレクター
1956年神戸市生まれ。早稲田大学理工学部中退。在学中の1977年にアスキー出版を設立。ビル・ゲイツ氏と意気投合して草創期のマイクロソフトに参画し、ボードメンバー兼技術担当副社長としてパソコン開発に活躍。しかし、半導体開発の是非などをめぐってビル・ゲイツ氏と対立、マイクロソフトを退社。帰国してアスキーの資料室専任「窓際」副社長となる。1987年、アスキー社長に就任。当時、史上最年少でアスキーを上場させる。しかし、資金難などの問題に直面。CSK創業者大川功氏の知遇を得、CSK・セガの出資を仰ぐとともに、アスキーはCSKの関連会社となる。その後、アスキー社長を退任し、CSK・セガの会長・社長秘書役を務めた。2002年、大川氏死去後、すべてのCSK・セガの役職から退任する。その後、米国マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員教授や国連大学高等研究所副所長、尚美学園大学芸術情報学部教授等を務め、現在、須磨学園学園長、東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボラトリー ディレクターを務める。工学院大学大学院情報学専攻 博士(情報学)。Photo by Kazutoshi Sumitomo