下手な言い換えは必要なし
誇りある氷河期世代

“人生再設計第一世代”は、“就職氷河期世代”をサポートするに当たって国が「もっと差し障りのない、いい名前にしよう」ということで名付けたものである。サポートの試みは素晴らしく思えたが、このネーミングには世間の非難ごうごうで、たしかに当事者からすると「なめるな」という気持ちを禁じ得ない。テレビドラマ化された小説『わたし、定時で帰ります。』の作者・朱野帰子氏は「氷河期世代と名乗る時、過酷な時代を生き抜いたことへの自負を覚えます」という旨のことを言っている。
 
 筆者は恥ずかしながら、ここまでしっかりとした氷河期世代への思い入れを持てるような生き方をしていないが、なんとなく「自分は氷河期世代なんだ」と受け入れて過ごしてきたので、今さら誰かに「あなたはかわいそうな世代だから、人生の再設計をお手伝いしますよ」と申し出られても「わが人生をいかにお思いか」「そんなこと言うならタイムマシンでも持ってきてください」と反発したくなる。余計なことを言わずに「お手伝いしますよ」だったなら「ありがとうございます。よろしくお願いします」で済んだろうから、とにかくネーミングがいただけなかった。
 
 話がそれたが、国の言葉を借りるなら人生の設計にハンディを負った我が世代が本当にかわいそうかというと、筆者はあまりそう思わない。たしかに就職活動はなかなかうまくいかずプライベートでも気のめいることが重なって軽度のうつになったが、それでもなんとか一応就職できた。たしかに求人倍率などの可視化できる数字を見ると、他の世代の就職はだいぶ易しそうに思えなくもないのだが、その世代にはその世代なりの苦労がきっとあったことと思うし、何より比較対象にするにしても基準となる体験が自分のものしかないので、比べようとする試み自体に、あまり手応えを感じられないのである。
 
 同世代の知人たちは皆しっかりやっている。中には非正規雇用者として苦労している人もいるが、それを単純にかわいそうだとは思わない。そう思うのが失礼だと考えているからか、望んで非正規雇用に従事する人たちをより多く知っているからか、筆者自身も非正規雇用だからか、非正規雇用が必ずしもネガティブなものだと考えていないからか。あるいはこれら全てが理由でかわいそうだと思わないのかもしれない。

 ただ、正規雇用を望みながら時代のせいでそうなれない人が大勢出たのが就職氷河期であり、これらの人たちに対して人生の再設計とまでいわなくとも、何かしらのサポートが入るのは非常に歓迎すべきことである。