売れないバンドマン時代
バンド氷河期に思ったこと

 当然、筆者自身も自分が氷河期世代であることをかわいそうだとは露ほども考えていない。平素から「俺はかわいそうじゃないぞ」と気を張っているわけではなく、「かわいそうだよね」と言及される機会があってようやく、「かわいそうじゃないよ」と思い出すくらいである。
 
 新卒で入社した会社を数年で退職した後は、長らく食えないバンドマンとして過ごした。キャリアを積んでいく同世代はまぶしかったし、当時は「安定した人生は新卒採用こそすべて」のような雰囲気がまだ強く残っていた(昨今ほど中途採用に希望の光がなかった)。「もはや自分に“安定した人生の道”は閉ざされた」と感じていたが、筆者は自分が選択した境遇に満足、とまでは言わないが十分納得していた。

 また筆者は生き方こそフワフワしているが、大変誠実で真面目な性格なので、それを買ってくれた人たちから正規雇用の話を持ちかけられたことが何度かあったが、すべてお断りしてきた。正規雇用を受け入れるとバンドマンとして終わるような気がしたのと、これからの人生を完全に決定してしまうような決断が怖かったためである。キャリアの展望が暗くなりがちな就職氷河期世代でも、夢見がちな人間なら十分に夢ばかり見て生きることができたということを示す一例であろう。
 
 問題は、売れないわがバンドであった。1980年終わり頃にあったバンドブームはとうに下火で、筆者が活動していた期間はYou Tubeが普及してCDがめっきり売れなくなってきていた頃であった。しかしバンドの数だけはあふれかえるほど多く、ちまたの小さなライブハウスはほぼ、それら無数の売れないバンドから出演ノルマを取ることで営業を続けているような状況で、ごく一部のバンドだけが売れていた。
 
 有象無象のバンドから頭一つ抜け出して成功するためにはいかにすべきかと考え、いい物を作ることに心血を注いだ。その結果、演奏、楽曲、ステージングのクオリティーはどう控えめに表現しても比類ないレベルにまで向上したが、恥ずかしいのは集客力であった。ライブの度に、いちげんの観客からすごいすごいとちやほやされたが、集客は一向に増えなかった。ではもっと腕を磨けばいいのだと考え一層精進したが、バンドで成功するために必要なのは良い物作りではなく集客の努力やセールスプロモーションであると、バンドが他メンバーの就職などでほぼ機能停止状態になってきた頃にようやく気付いた。
 
 不景気のあおりを受けミリオンセラーがほぼ出せなくなっていたレコード会社のスタンスは、かつては「いいバンドがいたら発掘してデビューさせよう」だったものが、「ある程度観客動員があって、具体的な数字として売り上げが見込めないと手は貸せない」といった具合に変わっていた。
 
 名もないバンドが腕だけで一旗揚げる登竜門として、ちまたにはバンドコンテストがいくつか用意されていたが、この審査方法が1次・2次審査あたりで大体「ライブハウスに見に来ていた観客の投票や拍手の大きさで決める」というものだった。結局のところ、ものをいうのは動員力である。メジャーどころのコンテストで悪いものだと最初からグランプリが決まっていたりする。自社からデビューさせる前にグランプリを獲得させて箔をつけようという出来レースで、コンテストというのはそれくらい信を置けなかった。
 
「これがかつてのバンドブームだったなら、我がバンドもイカ天(※『三宅裕司のいかすバンド天国』の略。ロックバンドが主のオーディション番組)にでも出て世を席巻し、日の目を見ることができたのに」と何度夢想したかしれない。いってみれば筆者が懸命に活動していた期間は体感的に思いっきりバンド氷河期であり、時代こそ違えばまた違った結果になっていたのではないか、という思いは拭えない。