ハードボイルド小説、そして歴史小説の書き手として、今なお第一線で活躍し続ける作家の北方謙三先生。現在は世界帝国の礎を築いた英雄であるチンギス・カンの波乱の生涯を描く「チンギス紀」を創作しており、2020年11月26日にはシリーズ9作目となる『チンギス紀 九 日輪』(集英社)を刊行。壮大なスケールで描かれる物語は読者を圧倒し、その心をつかんで離さない。
一方、「島耕作シリーズ」などで知られ、日本を代表する漫画家の一人である弘兼憲史先生。最近は、同じ団塊世代に向けて生き方を説くエッセーを数多く発表しており、『死ぬまで上機嫌。』(ダイヤモンド社)では、その前向きな死生観と70代を楽しく生きる術を明らかにしている。
ふたりはともに1947年生まれの団塊世代であり、同じ時代を共有しながら創作の分野でともに走り続けてきた盟友でもある。70代に達したふたりは、コロナ禍の今をどう過ごしているのか。友人との付き合い方から、お金との向き合い方、表現への想いまで縦横無尽に語り尽くした対談の模様を、3回に分けてお届けする。
北方謙三
1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大学法学部卒業。81年に『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。83年『眠りなき夜』で第4回吉川英治文学新人賞。91年『破軍の星』で第4回柴田錬三郎賞を受賞。2005年に『水滸伝』で第9回司馬遼太郎賞、10年に第13回日本ミステリー文学大賞、11年に『楊令伝』で第65回毎日出版文化賞特別賞、16年第64回菊池寛賞を受賞。13年紫綬褒章、20年旭日小綬章を受章。『三国志』『史記 武帝紀』ほか、著書多数。最新刊は『チンギス紀 九 日輪』(集英社)。
弘兼憲史
1947年山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、1970年に松下電器産業株式会社(現:パナソニック株式会社)に入社。漫画家として独立するために73年に退社し、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。その後、『人間交差点』で第30回小学館漫画賞、『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞、2000年『黄昏流星群』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、2003年に日本漫画家協会賞大賞を受賞。2007年には紫綬褒章を受章。最新刊は『死ぬまで上機嫌。』(ダイヤモンド社)。
友人関係は自然体が一番
北方謙三(以下、北方):この年まで生きていると、疎遠になる友人もいますね。
弘兼憲史(以下、弘兼):自然と疎遠になっちゃう。
北方:一方で、あんまり会っていないけど、全然変わらない友人もいる。本当の友人のありようが少しずつわかってきた。いまは新しい友人をつくろうとも思ってないけど、縁があったら偶然にできてしまう。友人に関しては自然体で、そんなに構えてないですね。
弘兼:私も同じで、基本的には自然と整理されてきますね。ただ、年賀状はもう10年以上前にやめました。昔はこたつに入って、みかんの皮をむきながら届いた年賀状を読むのが楽しみでしたけど、今は全部パソコンで印刷してあったりして、ダイレクトメールと見分けがつかない。年賀状をやめたことで、サッパリした感じはあります。
北方:私はまだ年賀状をやり取りしてますけどね。家にはたくさん届くけど、半分ぐらいは誰だかよくわからない。無駄なことをしているような気もするんだけど……。
年賀状を出したら、返事が来なくて、後で奥さまから「亡くなってます」という便りが来ることも多くなってしまいました。
弘兼:ちょっとしみじみしますね。私の同業者だと、同じ年齢で、ビッグコミック賞で同期入賞だった『孤独のグルメ』の谷口ジローさんが2017年に亡くなりました。そういう知らせを聞くと、ちょっと感慨深いものがありますね。
北方:私の同世代の友人でも病気になった人などいろいろいます。
友人といえば、釣りをするときに大沢(作家・大沢在昌氏)が来たり、吉川晃司が来たりする。あいつらは船には酔わないけど、釣りは下手。吉川はギターを抱えて、俺の家のテラスで目の前の海を見ながら、ずーっと作曲している。
弘兼:吉川晃司さんとは、どういう関係なんですか?
北方:吉川は私の読者だったんです。『三国志』を非常に熱心に読んでいて、「対談したい」って言ってきて、対談してからは弟分みたいになっちゃって。
吉川とはもう25年ぐらいの付き合いだけど、第一線でずっと活躍していて、武道館のステージに立ち続けているのを見てるから、ある意味で尊敬している。大沢に関しては、「愚兄賢弟」という言葉があるけど、まさにそれ。自分が愚兄で、あいつは賢弟。
弘兼:大沢さんは賢いんだ。
北方:大沢のほうが常識的で、早いうちに新人賞をもらったから、みじめな思いをしてないんですよ。私みたいに純文学を書いて何度も何度もボツを食らって、周りにいる奴がどんどん売れてしまう、みたいな経験をしていない。