財力も社会的地位もあり、おっさんくさくないように身なりもバッチリ。そんな上司が部下の女性から頼りにされない一方、特別秀でた外見でなくとも尊敬され、信頼される上司がいたりする。好かれる上司と嫌われる上司の境目はどこにあるのか。(作家・社会学者 鈴木涼美)
すてきなおじさんを
好む女性は多い
「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合(ゆり)の花」とは美人のたとえだが、「褒めればセクハラ、けなせばパワハラ、訴えられたらサヨウナラ」が常となった最近のおじさんバッシングにはさすがに少し同情するところがある。
虐げられてきた女性の歴史を考えて「逆襲だ」と言うことはたやすいが、彼女たちの訴えに若い男性までもが乗っかって「そもそも臭いしダサいし」なんて言われてしまっては、そんなのもはや言いがかりであって元も子もない。
そもそも老害なんて言って目の上のたんこぶを排除しようという考え自体が大変安易で、老害と呼ばれるその先人たちの生きてきた軌跡なくしては、若者など存在すらしないのだ。
そんなバッシングに気を落としたり、きたる老いに必要以上におびえたりする必要はない。だが、男性が「やっぱり若い女がイチバン」と平気で口にするくらいは、女たちも男の経年劣化に実はとても辛辣である。
女性に比べて男性の老いにそれほど悲観的なイメージがないのは2つの理由からだ。
1つ目は古くは経済的に男性に依存しがちだった女性らが、男性の美しさや爽やかさよりも現実的な生活能力や単純な経済力に魅力を感じがちであったこと。
2つ目は、視覚的な興奮よりも恋のストーリーや環境に刺激を感じる人が多いこと。才能や権力などに比べると「若さ」は確かに条件の優先順位で高いところには来づらい。
それでも、人間年をとれば体力も落ち、体は痛くなり、若い時には生えなかったところに毛が生えてくるのに、頭髪は薄くなり、精力も減退し、体臭も気になりだし、肌はくすみ、記憶力も衰えるので、生物としては、圧倒的に若い時分の方が優れているのは事実だ。
「男がつらいよ」など男性研究の著作で知られる社会学者の田中俊之氏は、著作の中でこんなふうに言っている。「好きこのんでおじさんと恋愛をしたい女子大生などいるはずもない」。
田中氏の意図は「無意味なプライドを捨てよ」という指摘につながるのだが、それはさておき、独立してそこだけ読めば、あまりの残酷さに目が白黒しそうな一文でもある。
そしてそれは正しいと同時に、間違いでもある。
一度街の中に目を向ければ、すてきなおじさんは意外とたくさんいるし、すてきなおじさんとすてきな時間を共有する女性たちも、これまたそれなりにいるのだ。
つまり、「好きこのんでそこらへんのおじさんと恋愛をしたい若い女性などあまりいないが、すてきなおじさんと恋に落ちたいと思う女性は結構いる」ということになる。