60年前の1960年12月4日、都営地下鉄浅草線(当時の呼称は都営地下鉄1号線)の押上~浅草橋間が開業した。浅草線は都営地下鉄として最初の、そして郊外私鉄と相互直通運転を行った初の地下鉄でもある。通常、新線の開業は始発から行われるものだが、浅草橋駅から京成線の青砥駅に向かう初列車が出発したのは14時49分だった。なぜこのような中途半端な時間になってしまったのか。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
東京の地下を巡り
3者が主導権争い
実は浅草線は当初、12月1日に開業する予定だったが、運輸省による開業前の検査で浅草駅施設の不備や駅員の教育不足などの指摘を受けて開業の許可が下りなかった。12月4日も始発からの営業開始を目指していたが、再検査は午後にまで及び、ようやく14時49分の列車から営業開始の許可が下りたというのが事の真相だ。
開業翌日の読売新聞によれば、浅草駅の通路は水浸しで歩けないところもかなりあり、壁は仕上げができておらず地肌があらわになったまま。階段の壁には手すりが付いておらず、取り付け部の鉄のボルトが突き出しているありさまだったという。