地下鉄銀座線が現在の運行形態になって80年。日本初の地下鉄が東京に誕生したのは、第一次世界大戦や関東大震災が勃発した、まさに混乱相次ぐ時代であった。そして当時を振り返ると、東京になぜ「営団」と「都営」という2つの鉄道事業者が存在することになったのかが見えてくる。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
銀座線は「2つの地下鉄」が
合体して誕生した
特にニュースになることもなく、東京メトロがコメントを発表することもなかったが、1週間前の9月16日は、地下鉄銀座線が現在と同じ浅草~渋谷間の運転を開始してちょうど80年という記念すべき日であった。
日本初の地下鉄が浅草~上野間に開業したのは92年前の1927年だから、銀座線は12年の歳月をかけて現在の形になったことになるが、浅草から渋谷まで徐々に線路を延ばしていったわけではない。実は銀座線は、浅草~新橋間は「東京地下鉄道」、新橋~渋谷間は「東京高速鉄道」という異なる鉄道会社が建設した2つの地下鉄を接続してできた路線なのだ。
東京地下鉄道は「地下鉄の父」と呼ばれた早川徳次(のりつぐ)が1920年に創立した鉄道会社で、1927年に日本初の地下鉄を浅草~上野間に開通させると、上野から都心に向かって徐々に線路を延ばしていき、1934年に新橋まで到達した。
一方、後の東急グループを創立した五島慶太が率いる東京高速鉄道は、東横線のターミナル・渋谷と都心を結ぶ地下鉄を整備し、1938年11月から1939年1月にかけて渋谷~新橋間を開業させた。
両社は地下鉄建設の主導権をめぐって激しく火花を散らしたライバルであったが、最終的に直通運転に合意し、1939年9月16日から直通運転を開始する。同年の1月から9月までの8ヵ月間は、新橋を境に浅草~新橋間と新橋~渋谷間がそれぞれ折り返し運転を行っていたというわけだ。
東京に存在する2つの地下鉄――どこかで聞いたことがある話だが、偶然の一致ではない。今も東京に、東京メトロと都営地下鉄という2つの地下鉄事業者が存在しているのは、実はこの時から続く「因縁」が関係しているのである。