──末永さんはいかがでしょうか? 芸術作品をつくるアーティストも「共感の渦」を意識しながらいくのか、あるいは、つくってみてから共感性を意識するのか、はたまた「伝え方」のところで工夫していくのでしょうか?

末永 すごく難しいところですが、「自分の関心からスタートする/他者への共感を意識する」のうちどちらかに振り切るのではなく、フェーズによって両者を使い分けることが現実的だと思います。

0から1を生み出すような場面では、共感よりも自分軸からのスタートが重要です。最終的に「花」が咲くかどうかもわからないし、咲いた花が「綿毛」になって飛んでいくかもわからない「0」の状況から「1」を目指すわけです。

そこで生み出されたものが、結果的に他者の共感を呼んだあとで、それをどう10や100へと広げていくのかを考えるというフェーズがやってくるのかなと思っています。

遠山 自分の興味をぐんぐん掘っていくと、あるとき社会とパッと通じることがあります。これを私は「Social Self-interest=社会的私欲」と言っています。「誰かのために」というのはもちろん素晴らしいと思いますが、ちょっと怪しくなるんですね(笑)。それよりも、まずは自分の体や心に耳を澄まして行動し、その過程のどこかで結果的に共感が生まれ、あるとき社会性を持ちはじめる。アーティストも「世の中全体のため」などとはおそらく思っていなくて、個人の興味を掘っていくなかで生まれたものを、まわりが勝手に評価しているという感じだと思いますね。

──「当てにいく共感」ではなく、自分の発意から出てきたものが、人々を巻き込んでいくというわけですね。アートの世界でもビジネスの世界でも、そういう思考過程がすごく大事になっていると思います。

とにかく出発点は、末永さんがおっしゃったように0から1を生むことでしょう。いろいろな人・組織はここに頭を悩ませているわけですが、そのときに末永さんのおっしゃる「アート思考」は、1つの発想のヒントになると思います。これからは教育の場面でも、アート思考な素養が重視されていくようになるのでしょうか?

末永 そう考えています。将来、子どもたちが社会で働くときにも、仕事を「自分ごと化」して「自走」できる人になっていてほしいんです。

たとえば、会社で働くことになれば、そこには「やるべき仕事」というのは絶対にあるわけですよね。以前の私は、これはある意味では「外から与えられる仕事」であって、個人の「興味のタネ」とは関係がないと考えていました。でも、最近「そうじゃないな……」と思い直したんです。

むしろ、個人の「興味のタネ」は、他者から与えられるタスクをやるなかで見えてくることが少なくありません。自分ごと化してやるうちに、自分の本当の関心ごとがわかってくるんです。つまり、仕事が触発材料となって興味のタネを見つけることもできる。アート思考的な教育をすることによって、仕事を「自分ごと化」できる人が増えていくと思います。

組織や規模感にとらわれず、
「個人の小さなこと」からはじめよう

末永 もう1つ大事なことは、私たちはこれからもずっと同じ組織で働き続けるとは限らないということです。AIの進化などで仕事自体がなくなる業種もあるでしょうし、仮に定年退職まで勤められたとしても、いつかは仕事から離れるときが来ます。つまり、「花」だけつくっている人でも、いつかその「花」が失われる状況になるわけです。

そのとき、もし自分の「タネ」から「根」を伸ばせていれば、いきなり「花」がなくなろうが関係ありません。また別の「花」を咲かせられるかもしれないからです。そういう人こそが、いわゆる人生100年時代を楽しめるんでしょうね。

「共感」を得るには「私欲」が欠かせない【対談:遠山正道×末永幸歩】末永幸歩(すえなが・ゆきほ)
美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、東京学芸大学附属国際中等教育学校や都内公立中学校で展開。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。
自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップや、出張授業・研修・講演など、大人に向けたアートの授業も行っている。初の著書『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)が13万部超のベストセラーに。