多くの選手たちがサッカー界に別れを告げた昨シーズン。そのなかでも川崎フロンターレひと筋で18年間プレーし、二冠を手にしてスパイクを脱いだMF中村憲剛の決断は日本サッカー界に衝撃を与えた。以前から心中に秘めていた「40歳での現役引退」を実践したレジェンドがサッカー界のOBとして、そして父親として残したさまざまなメッセージをあらためて追った。(ノンフィクションライター 藤江直人)
35歳の時に決めた「40歳で引退」
明治安田生命J1リーグに続く天皇杯全日本サッカー選手権大会のフロンターレ二冠達成という大団円で、18年間に及んだプロ人生を終えた憲剛は、ちょっぴり寂しそうな表情でこんな言葉を残している。
「本気の本気で、今日で終わりなんですね。いまはまだ実感がないですけど、この先、日を追うごとに実感していくんじゃないかな。自分は止まるけど、周りがどんどん進んでいくから。寂しさを感じると思うけど、自分は自分で新しい道が開けていると思うので、次のステージでも全力で頑張ります」
35歳の誕生日だった2015年10月31日に決めた、「40歳になるシーズンでの現役引退」を実践した。中央大学の同期生であり、サッカー部のキャプテンとマネジャーという間柄から愛を育んできた、夫人の加奈子さんと2人で決めた引退には、引き際の美学とも言うべき思いが込められていた。
「この年齢で求められる選手のまま引退したい、という思いがありました。40歳というところで区切りをつけて、残された5年を、目の前の1年1年が勝負だと言い聞かせて頑張ってきました」
ただ、もっともつらかったのが3人の子どもたちに、サッカー選手ではなくなると伝えることだったという。