妻と子どもたちに支えられた選手生活

「子どもたちのリアクションがわかっていたので、(最初は)直接話す自信がありませんでした」

 苦笑しながらこう振り返った憲剛は、小学校6年生の長男・龍剛くん、4年生の長女・桂奈ちゃんに手紙をしたためて枕元に置いたという。これから起こることを子どもたちが理解してくれたと信頼した上で、翌日にあらためて話し、フロンターレのフロントや鬼木達監督、仲間たちに秘めてきた決意を伝え、40歳の誕生日の翌日、昨年11月1日に緊急記者会見を開いた。

 自他ともにイクメンであると認める憲剛は、まだ幼い4歳の二女・里衣那ちゃんを含めた3人の子どもたち、そして加奈子さんに「すごく助けられたところがある」と話す。左ひざに負った前十字靱帯(じんたい)損傷の大けがからのリハビリが、暗転しかけていた2020年の春だった。

「ちょっと負荷が強すぎて痛みが生じて、リハビリのメニューがどんどん削られていったときが一番つらかった。その後に緊急事態宣言が出てクラブハウスにも行けなくなったなかで、左ひざの先行きが見えない時期と、国として、Jリーグとして、そしてフロンターレとして先が見えない時期とがちょうど重なってしまい、いろいろなストレスがあったと思うんですけど」

 思うように進まないリハビリ。それでいて、引退を決めていたシーズンがどのようになるかわからない。ステイホームを強いられた状況で自問自答を繰り返し、思考回路が袋小路に入りかけた憲剛を鼓舞したのが、家族から日々かけられた何気ない言葉の数々だった。

「ひざが痛いと言ってもしょうがないよ、みたいな感じで。いつ緊急事態宣言が明けるのかもわからないし、とにかくネガティブにならないように、子どもたちも小学校や幼稚園に行けないのに声がけをしてくれたなかで、一家の主である僕がそれじゃダメだろうと思うようになりました」

 サッカーを始めて久しい龍剛くんは、誰よりも父・憲剛を愛し、敬うナンバーワンのサポーターをいつしか自負するようになった。だからこそ約10カ月ぶりに復帰し、ゴールまで決めた2020年8月29日の清水エスパルス戦を喜び、引退する決意を聞かされてショックを受けたはずだ。

 12月21日に等々力陸上競技場で行われた引退セレモニー。自らをサポーター代表と位置づけ、必死に考え抜き、したためた手紙を憲剛の前で読み上げた龍剛くんは、引退を告げられたときの心境をこうつづっている。

「僕は今シーズンで引退すると言われたとき、夢なのか現実なのかわからないぐらい驚きました。そして、勝手にまだ先だと思っていたので自然と涙がボロボロ出てきました。でも、時間がたつにつれてお父さんの気持ちがわかりました。それがベストなタイミングなら残りの2カ月間を全力でサポートし、応援しようと思いました。そして、しっかりと目に焼きつけようと感じました」

 時間の経過とともに、憲剛の涙腺がどうしても緩んでくる。そして「引退、おめでとう。そして、ありがとう」とスピーチを締める前に龍剛くんが残した言葉がある。

「やっぱり物事は終わりがいつか来るから、美しくおめでたいことだと感じていました」

 この言葉には、リミットを定めて情熱を燃やしてきた憲剛の、選手としての立ち振る舞いを介して教えたかったことが凝縮されていたと思う。