既に様々なところで報道されているように、政府の各省庁が多額の復興予算を被災地の復興以外のために使っていることが明らかになりました。その一方で、ある被災地はがれき受け入れの恩返しをしようとしています。一体この矜持の差は何なのでしょうか。そして、この事実から、日本の本当の強みは何であり、日本の復興のためには何が必要かが明らかになるのではないでしょうか。
なぜ復興予算の流用が起きるか
各省庁が復興予算をどのような復興以外の用途に使っているかは、既にたくさんのメディアが報じているので、ここではその詳細には触れませんが、復興につながらない研究開発、税務署の改修、アニメの紹介、果ては核融合の研究にまで使っているというのには、もう空いた口が塞がりません。
その一方で、例えば被災地の中小企業の復興支援のためのグループ補助金については、被災地での需要が大きいにも拘らず予算額が少ないため、復興以外の用途にはたくさんの予算が流れているのに、被災地からの申請の半分強の金額しか対応できていないという本末転倒が起きてしまっています。
ただ、こうした官僚のやり口は今回が初めてではありません。予算要求する際にシーリングなどの制約が大きくて十分な予算を獲得できない中、世間で流行りの政策イシューについては予算を獲得しやすい(予算の特別枠ができるし、予算獲得の口実ができる)ので、官僚が得意な屁理屈を並べてその特別枠から予算を確保するというのは、これまで何度も行われてきました。
例えば、過去には、ITがブームのときはどの役所もIT絡みの予算をたくさん要求して獲得していました。環境が流行りになると、今度はどこもかしこも環境絡みの予算を取りました。即ち、官僚の側からすれば、被災地復興もそれらと同じように予算を獲得するには絶好の政策イシューだったのです。
ただ、過去のITや環境などのときと今回では罪の重さがまったく違うことに留意すべきです。