日銀総裁になれなかった悲運の元大物次官
経歴と実績買われての事務総長就任だったが

 一方、今回の失態については武藤事務総長の影響力の弱さもあらわとなった。

 武藤事務総長は12日の記者会見で、川淵氏の会長就任の“ニュース”について、11日に「メディアの方から聞いて知った」と明らかにし、事前に森会長から説明や相談を受けていなかったと認めた。テレビでも見たのだろう、「(川淵氏が就任について)映像で言っているのが確認できる。(川渕氏に)会長選出の手続きについて(電話で)お話しした」。

 武藤事務総長は、政官財の各界でつとに知られた存在だ。2000年6月~03年1月まで約2年半、財務事務次官(大蔵事務次官を含む)を務めており、当時の小泉純一郎首相の構造改革路線を支えて「10年に1人の大物次官」との評判を呼んだが、その前には首相だった森会長にも次官として仕えていた。

 その後日本銀行副総裁に就任するが、政治の動きと共に運命が暗転する。08年、当時の民主党など野党が多数を占めていた参議院が、武藤氏を日銀総裁とする人事案に同意せず、民間に転じて大和総研理事長のポストに収まった。

 やがて2度の政権交代を経て東京五輪の開催が決定。武藤氏は、これまでの実績や経歴を買われて組織委事務総長に就任したのだが、今回の森会長の暴走を止められなかったわけだ。

 首相時代から失言を繰り返してきたにもかかわらず、政界引退後も公然と自民党などに影響力を発揮してきた森会長。そんなキングメーカーに振り回された武藤事務総長には同情の余地ありとする向きもあるかもしれない。

 だが、新型コロナウイルスの感染拡大により、世論調査では開催の中止や再延期を求める声が多く、開催そのものが危機的な状態にある。番頭役である「10年に1人の大物次官」とうたわれた武藤事務総長の責任もまた、重いと言わざるを得ない。