「ピアニストになるのは、母の夢だったんです」
M美さんをそこまで追い詰めたのは、小さい頃からことごとく干渉してくる母親の存在だった。
何時に起き、何を着、何を食べ、何をするか。すべては母親の指令によって進んでいった。
M美さんは、物心つくかつかない頃から、将来はピアニストになると決まっていたのだという。本人の意思など関係ない。母親がそう決めたのだ。
「ピアニストになるのは、私ではなく母の夢だったんです。
自分は一流の先生につけなかったから途中で挫折してしまった。だから私には一流の先生のもとでレッスンさせてあげたいと言っていました。
でも、先生のレッスンより、母のレッスンのほうが数倍厳しくて、怒鳴られたり小突かれたり、ねちねち嫌味を言われたりと、母が怖くてたまりませんでした」
M美さんには、友達と学生生活を楽しんだ記憶がほとんどない。
学校が終わる時間には、門の前に母親が車で迎えにきて、そのままレッスンに行く。何があろうとM美さんの都合でレッスンを休むことなど絶対に許されなかった。
「お風呂に入りなさい」「明日の予習をしておきなさい」「もう寝る時間よ」と、家での生活は母親の言いなりであった。
夜10時を過ぎれば、ちゃんと寝ているかどうか母親が部屋をのぞきにくる。
M美さんには、友達と携帯電話で長電話をしたり、好きな本を読んだり、おしゃれを楽しんだりという、普通の女の子が当たり前に持てる自由な時間がまったくといっていいほどなかった。
すべて母の管理、監視のもとでの生活を十数年続けてきたのである。
泣いて訴えても完全無視
それでもピアノを弾くのは好きだったし、懸命にレッスンに励んだM美さんだったが、
「クラスの誰も私を遊びに誘ってくれない。みんな携帯を持っているのに、必要ないでしょ、と母は持たせてくれなかった。
高一の秋ぐらいだったと思います。私の中で何かが壊れたというか、パチンと切れたみたいに、そんな母が嫌いでたまらなくなったんです。
もう母の言いなりに生きるのは絶対嫌だ、母の言うことは聞くまいと、怒りにも似た気持ちがこみ上げてきたんです」
そのときのことを思い出したのか、M美さんの声が少し震えた。
「今日限りでピアノをやめる、と母に宣言したんです。
もうママの言うなりになるのはイヤ、ピアノは好きだけどもう続ける気力がないと、泣きながら母に訴えました……」