「お母さんの反応はどうでしたか」
「完全無視です。
私が興奮して泣いて訴えているのに、『あら、何を言ってるの?』と何事もなかったかのように無視。ママ聞いてよ、と大きな声を出しても無視。
あのときの母の冷たい表情は、今思い出してもぞっとします。それから何回か母に抗議しましたけど、すべてそんな調子で無視されて……。
そのあと、私はひたすら母親の言いなりに動くロボットになってしまった」
母親に何をしろと言われればそれをし、するなと言われればそれをしない。
頭はいつも「呆然としている感じ」で、体が母親の繰り人形のように自動的に動いているだけだった、と当時を述懐する。
そんな状態のM美さんがピアノに集中できるわけもなく、当然というべきか、目指していた音大の受験に失敗し、母親を失望させた。だが、浪人生活を徹底的に母に管理され、なんとか第二志望の音大への滑り込んだ。
留守中のアパートに合鍵で入る母
音大へは自宅から通うように母親は言い張ったが、片道2時間近くかかることもあり、M美さんは一人暮らしを望んだ。
通学で疲れて授業に集中できない、というと、しぶしぶ母は同意した。
「一人になるのは不安でしたが、母から解放される喜びのほうが大きかった。
でも、その考えは甘かったことにすぐ気づかされました。
私の不在を見計らって、母が合鍵で部屋に入り、片付けや掃除をし、帰ってくると生活への細かい注意などのメモが残っているんです。
ゴミも調べているのか、前日に食べたコンビニのおにぎりのことまでチェックしていて、『おにぎりだけじゃ体に毒ですよ』ってメモに書いてある。
毎日夜九時には電話があり、何だか、家にいたとき以上に自分の時間を母に支配されているような気持ちになりました」
電話に出なかったり、途中で切ってしまったりということもあったようだが、そんなことをすると留守電に矢のような催促が入り、ときには夜中に母親がアパートまでやってくることもあったという。
M美さんの飲酒が始まったのは、その頃からである。
当然、酒瓶を母親に発見されて追及されたが、夜眠れないので睡眠薬代わりに飲むだけだとごまかした。