「お客様のプライバシーは口外してはいけない規則になっているので、どこからどこまでお乗せした方かは言えませんけれど、ひとりで営業を始めて間もない頃、キャリアウーマン風の方をお乗せしたことがありました。お乗りになった瞬間からものすごく急いでいらして、国道でもどんどん前に出ろとおっしゃいます。高速の乗り口がわからなくて、教えていただいてようやく乗ったら、今度はどんどん車線を変えて前の車を追い越せとおっしゃいます。高速で追い越しなんて怖くてやったことがなかったのですが、もたもた走るなと。私がきびきび走れればよかったのですが、そのうちに、携帯でうちの会社に電話をおかけになって、この人ぜんぜん道知らないし、なんとかしてほしいんですけどって言っているのが聞こえてきました。

 道を教えていただきながらなんとか目的地にはたどり着けたのですが、さすがに料金を下さいとは言えなくて、お金は結構ですからと言うと、今日のあなたの仕事に幾らの価値があると思うのとおっしゃいます。メーターは1000円を超えていましたけれど、ご迷惑をおかけしたので初乗りの710円だけでもいただければと言うと、710円だけ払って下さいました。そして車を降りる時、あなたよくこれで仕事してるわね、絶対に向いてなわよと言って降りていかれました。その時は私、辛くて、本当に泣きました」

 仲村は、芝居で言うところの長台詞を、ゆっくりとした口調ではあるけれど、一息に話す。一度離婚していて、子供がふたりいる。日立交通に入る前にも、車の運転をする仕事をやっていた。

「離婚するまでは、ずっとパートで働いていましたけれど、私、同じ職場に女性がたくさんいる事務の仕事が苦手なんです。どこにでもお局さんみたいな人がいて、プライバシーを根掘り葉掘り聞かれたり、仕事のやり方を批判されたりするのがどうも苦手で、事務のパートは少しだけ通ってやめてしまいました。その後は、スーパーの鮮魚売り場で魚をさばくパートを長くやりました。真面目にやっていたのですが、ある日、職場のリーダー格だった女性がやめてしまって、彼女がやっていた仕事を私がやらなくてはならなくなってしまったのです。それがとても大変な仕事で、私、半年ぐらいで鬱状態になってしまって、結局、その仕事も辞めてしまいました」

 スーパーのパートを辞めた仲村は、今度はある検査会社にパートで入る。車でいくつかの病院を回っては病院で採決された血液検体を回収し、検査会社まで持ち帰る仕事だ。この仕事が、後にタクシードライバーになる伏線となるわけだが、仲村は別段車の運転が好きだったわけではない。煩わしい人間関係がないことが魅力だった。

「要するに運び屋ですね。車に乗るのは私ひとりなので、一度会社を出てしまえばひとりきりの世界。病院とのやり取りはありましたけれど、人間関係はとても楽でした。毎日、決まったルートを通って、同じ病院を回ってくるだけなので、新しい道を覚える必要もなくて楽でした」

 その点は、同じ車の運転といっても、タクシーとはまったく違う。

 仲村に「やめろ」と言ったもうひとりの客も、やはり女性だった。彼女は仲村の運転に、ほとんど切れてしまったという。