The Legend Interview不朽
 1957年、東京都港区三田の聖坂に完成した三田東急アパート。この時代はまだ「マンション」という呼称が一般的ではなく、「アパート」と呼ばれていたが、9階建てで住戸数は193戸。一棟の集合住宅としては当時最大級で、ホテルのようなフロントサービスを備え、政財界人や企業経営者、外交官などが居住した。

 三田東急アパートや、代官山東急アパート(55年完成)などの登場により、昭和30年代前半の都心では集合住宅での暮らしが注目の的となっていた。都市生活の新しい価値観を打ち出す、後の高級マンションの原型といえる存在だ。

「ダイヤモンド」1958年1月臨時増刊『戝界人物』に、「名士はアパートがお好き」と題された座談会が掲載されている。参加しているのは三田東急アパートに住む協和醗酵社長の加藤弁三郎夫妻、日東商船専務の水鳥信人夫妻、東京物産社長の藤岡啓夫妻、そして前フランス大使の西村熊雄だ。夫婦それぞれの立場から、アパート暮らしの実情を語っているのが面白い。

 戦前型の広い邸宅から移り住んだ彼らにとって、集合住宅の最大の利点は、生活が簡潔で身軽になることだった。従来の邸宅生活では、留守番や来客対応、近隣との付き合いなどに縛られがちだったが、アパートではそうした負担が大きく減り、外出や外食など都市的な生活がしやすくなると受け止められていた。

 また、夫婦それぞれが自由に行動できる点も新しい生活様式として語られている。家庭を守る役割を担ってきた妻にとっても、家事や来客対応から解放され、趣味や外出の時間を持てる生活が生まれていた。家財道具を大幅に整理し、必要最小限の持ち物で暮らすという発想も、当時の日本ではまだ珍しいものだった。

 一方で、当時の日本社会には「アパート住まいは気の毒」という感覚も残っていた。庭付きの持ち家こそが理想という価値観が強かったからだ。しかし入居者の多くは、米ニューヨークをはじめ欧米では都市住民の大半が集合住宅で暮らしていることを踏まえ、日本でも合理的な都市生活としてアパート住まいが広がる可能性を感じていた。

 記事を読んでいくと、三田東急アパートは戦後日本における都市型集合住宅文化の出発点の一つだったことが分かる。後に「マンション」という呼び名が定着し、高層集合住宅が都市の標準的な住まいとなっていく流れを考えると、この建物とそこに暮らした人々の生活観は、その先駆的な姿をよく示している。ちなみに同アパートは、老朽化により2009年に解体されている。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

毎日が楽しい新婚気分
アパート生活は婦人を解放する

出席者
協和醗酵社長 加藤弁三郎(かとう・べんざぶろう)・同夫人
日東商船専務 水鳥信人(みずとり・のぶと)・同夫人
東京物産社長 藤岡 啓(ふじおか・ひらく)・同夫人
前フランス大使 西村熊雄(にしむら・くまお)

本社 アパートというと、いままで低い階級の人が入るものと思われておりましたが、このごろは、名士の方が好んでアパート住まいをされています。

 そういう点で、皆さんから居心地をうかがいたいものです。

「ダイヤモンド」1958年1月臨時増刊『戝界人物』「ダイヤモンド」1958年1月臨時増刊『戝界人物』より

加藤夫人 皆さんがよく「奥さんお一人でお困りになるでしょう」などとおっしゃいますが、私は大して困らない。むしろ、こうやっていると新婚みたい……(笑)。

加藤 昨年このアパートに入ってから間もなく盆踊りの声が聞えるのです。「おい行ってみようじゃないか」というわけで、2人で浴衣がけでカギを掛けて11時まで夕涼みです。

 こういうことは新婚以来ありません(笑)。初めてです。

 在来の暮らし方では、ちょっとそういうことはできないですな。