プルデンシャル生命保険で「前人未到」の圧倒的な業績を残した「伝説の営業マン」である金沢景敏さん。営業マンになった当初はたいへん苦労しましたが、あることをきっかけに「売ろう」とするのをやめた結果、自然にお客様から次々と「あなたからサービスを買いたい」と連絡が入るようになりました。どうすれば、そのような営業スタイルを作り上げることができるのか? 本連載では、金沢さんの初著作『超★営業思考』を抜粋しながら、その「秘密」をお伝えしてまいります。

画像はイメージです。 Photo: Adobe Stock

アメフトの名将は、
なぜ、徹底的に厳しく指導したのか?

 後輩に突きつけられたクーリングオフ――。

 プルデンシャル生命保険に入社して半年後に起こしてしまった事件によって、僕は精神的に追い詰められていました(詳しくは連載第9回を参照)。

 原因は明白でした。僕が、週3件の契約を預かるというKPIを達成するために、後輩に対してなかば強引に契約を迫ったことにありました。しかも、それは、その後輩との間にだけ起こった問題ではありませんでした。

 TBSの同期に「あなたは、どうして同期に保険を売りつけようとするの?」なじられたほか、何人もの知人から僕の営業手法は非難されていました。そして、だからこそ、新規の営業先を紹介してもらうこともできず、僕は営業マンとして行き詰まりつつあったのです。

 だけど、この現実を受け入れるのには心理的な抵抗がありました。

 一生懸命「売ろう」と頑張っていた自分を否定することにほかなりませんし、そもそも、「売ろう」とせずに、どうやって営業をすればいいのか皆目わからなかったからです。

 だからこそ、僕は、これまで自分の営業手法を批判されても、「ドンマイ、気にするな。頑張って、売るしかないんや」と自分に言い聞かせてきたのです。しかし、今までと同じ営業スタイルを続けていたら、営業マンとして「終わり」になるのも明らか……。「俺は一体、どうしたらええんや?」と呆然とするばかりでした。

 そんなときに思い出したのが、京大アメフト部の水野弥一監督でした。

 監督だったら、僕にどんな言葉をかけるだろうかと考えたのです。

 水野監督は、「日本一になる」という目的に対してはとても厳しい人物で、選手を褒めるということをほとんどしませんでした。当時は、正直なところ「厳しすぎるやろ……」と思いましたが、あとで考えればそれは当然のことでした。

 なぜなら、京大アメフト部の選手は受験勉強に励んできたわけですから、エリート選手を集めているライバル校のほうが明らかに強くて上手かったからです。それでも「日本一」を目指すには、徹底的に厳しく指導するほかありません。だからこそ、選手に優しく接して甘やかすことなど一切なかったのです。

 僕の場合には、ご指導を受けた4年間で最高に褒められた言葉が「悪くないな」という一言だけ。それどころか、目立つタイプだったからか、僕は「叱られ役」のような存在で、しょっちゅう叱り飛ばされていました。

 そして、試合でも練習でも、「失敗」などしようものなら、「なぜ、失敗したのか?」「なぜ、そんなプレイをしたのか?」と徹底的に問い詰められました。まさに半端ない厳しさだったのです。

金沢景敏(かなざわ・あきとし)
元プルデンシャル生命保険ライフプランナー AthReebo(アスリーボ)株式会社 代表取締役
入社1年目にして、プルデンシャル生命保険の国内営業社員約3200人中の1位(個人保険部門)になったのみならず、日本の生命保険募集人登録者、約120万人の中で毎年60人前後しか認定されない「Top of the Table(TOT)」に3年目で到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な実績を残した。
1979年大阪府出身。東大寺学園高校では野球部に所属し、卒業後は浪人生活を経て、早稲田大学理工学部に入学。実家が営んでいた事業の倒産を機に、学費の負担を減らすため早稲田大学を中退し、京都大学への再受験を決意。2ヵ月の猛烈な受験勉強を経て京都大学工学部に再入学。京都大学ではアメリカンフットボール部で活躍した。
大学卒業後、2005年にTBS入社。スポーツ番組のディレクターや編成などを担当したが、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じて、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命保険に転職した。当初は、アポを入れようとしても拒否されたり、軽んじられるなどの“洗礼”を受けたほか、知人に無理やり売りつけようとして、人間関係を傷つけてしまうなどの苦渋も味わう。思うように成績を上げられず苦戦を強いられるなか、一冊の本との出会いから、「売ろうとするから、売れない」ことに気づき、営業スタイルを一変させる。
そして、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRT(Million Dollar Round Table)の6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、自ら営業をすることなく「あなたから買いたい」と言われる営業スタイルを確立し、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な業績をあげた。
2020年10月、プルデンシャル生命保険を退職。人生トータルでアスリートの生涯価値を最大化し、新たな価値と収益を創出するAthReebo(アスリーボ)株式会社を起業した。著書に『超★営業思考』(ダイヤモンド社)。