火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。化学という学問の知的探求の営みを伝えると同時に、人間の夢や欲望を形にしてきた「化学」の実学として面白さを、著者の親切な文章と、図解、イラストも用いながら、やわらかく読者に届ける、白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』が発刊。発売たちまち1万部超の大重版となっている。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

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「終末時計」の衝撃

 一九四九年以降、核開発や戦争、環境破壊などへの警告を目的に、米科学誌『ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ(原子力科学者会報)』は、「終末時計」を毎年発表している。
「終末時計」は核戦争の危険性を警告する目的で、マンハッタン計画で最初の原爆開発に参加した米科学者たちが創設した。人類滅亡を「午前零時」に見立て、それまでの残り時間を表すシンボルだ。核戦争などの危機が高まると針が進み、遠のくと戻る。

 二〇二〇年一月二十三日に発表されたのは終末までの残り時間が過去もっとも短い「百秒」だった。イラン核合意の崩壊や、北朝鮮の核兵器開発、アメリカや中国、ロシアなどからの核拡散が継続していることなど核兵器の脅威は高まっていることや、世界の気候変動への取り組みの弱さが理由である。

 広島・長崎に投下された原爆は、核分裂の際に放出される巨大なエネルギーを利用している。核分裂という原子に秘められた秘密を解くために欠くことのできない役割を果たしたのは、オーストリア生まれのユダヤ人科学者リーゼ・マイトナー(一八七八~一九六八)だった。

 一九三八年、ドイツのオットー・ハーン(一八七九~一九六八)と弟子のフリッツ・シュトラースマン(一九〇二~一九八〇)が、エンリコ・フェルミ(一九〇一~一九五四)たちによるウランへの中性子の衝撃実験の「追試」を行った。すると、原子番号九二のウランよりも原子番号が大きい元素群である超ウラン元素とともに、原子番号五六のバリウムができていることがわかった。

 マイトナーはハーンの共同研究者で、カイザー・ヴィルヘルム研究所の研究員を経てベルリン大学の教授となった。ナチスのオーストリア併合によりユダヤ人の市民権が剥奪されたこともあり、スウェーデンに逃れていた。彼女は、ハーンからの手紙でバリウム発見を知る。ハーンは、いまでは遠く隔たってしまった共同研究者にその発見の解析を求めていたのだ。

 マイトナーは、コペンハーゲンにいた甥で物理学者のオットー・ロベルト・フリッツに手紙を送り、会いに来るように懇願した。二人は雪のなかを歩きながら議論した。マイトナーは「これは核が分裂したのである」と結論し、核分裂の現象を解明した。