「よりよい世界」のための幸福学
前野 僕も大学時代は美術部にいたので元々アートは好きでした。社会に出てからはいったんロジカルな世界に入りましたが、組織の合理性重視の姿勢に疑問を感じたので、アートや創造性に新しい可能性を見いだしてそこからデザイン思考に行き着きました。
でも、パーパスのような大きな目的を目指すというよりも、目の前の課題解決に向かう傾向のあるデザイン思考にも限界を感じて、その後は徐々に「ウェルビーイング(よい状態、よきあり方)」の研究にシフトしました。
佐宗 前野先生がデザイン思考に限界を感じたのは、具体的にはどんな部分で、それからどのようにしてウェルビーイングまでつながっていったのですか?
前野 デザイン思考とは、世の中の課題を見つけて、それを創造的に解決することです。しかし、自社製品が他社製品に勝つためにデザイン思考を利用するような「利益ファースト」の姿勢では、「よりよい世界」の構築にはつながりません。そのような使い方をされがちであるという点に、デザイン思考の限界を感じました。
本来、新しいものを創造するのは、「よりよい世界」のためですよね。そのよりよい世界を実現するためには、全ての人が幸せに生きることが最も大切だと思ったので、幸福学にたどり着きました。
理想と現実の間でもがいている人の手助けがしたい
前野 逆に、佐宗さんはなぜ幸福学にたどり着かなかったんだろう。僕はパーパスについて考えるうちに「幸せ」の概念にたどり着いたんだけど、佐宗さんは「幸せ」という言葉にはピンと来ませんでしたか?
佐宗 僕が2015年に出した『21世紀のビジネスにデザイン思考が必要な理由』(クロスメディア・パブリッシング)という本の最終章は、デザイン思考と幸せがテーマだったので、本当はドンピシャなんです。でも、いまの段階では、僕は実務家として、幸せを目指す理想の世界と現実とのギャップを埋める「トランジション(橋渡し)」をしっかりやるのが社会における自分の役割じゃないかと思っています。
答えが見えているものに対して突っ走る合理型の世界と、答えがない世界の中で理想を追求し、新たな意味をつくっていく創造型世界とには、大きな隔たりがあると思います。最近は、創造的な世界の重要性が高まってきていて、それはとっても嬉しいことなのですが、理想が理想通りに実現する世界は逆説的に幸せではないと思っています。歴史的に見ても、理想主義者が理想原理主義に走った時に社会的に悪夢が生まれることもありますし。
答えがなく理想が重要な時代だからこそ、理想を創造する世界と合理型の世界という2つの世界の違いをつなぐのが、僕の世代の役割だと考えています。理想を諦めない人というのは、人間的であることを諦めたくない人だと思っているのですが、理想を持つがゆえにそのギャップに苦しみます。そんな人のトランジションの手助けをすることが、社会が着実に前に進んでいくうえで必要なことじゃないかと思っています。
外在的なものさしで測る成長に「むなしさ」を感じた
佐宗 僕は元々P&Gでキャリアをスタートして、「戦争的な競争世界のど真ん中」のような場所で20代の頃はがむしゃらに頑張っていました。しかし、その環境下で僕は、ただ収入を上げ、ポジションを上げ続けるという他人軸で見た成長に「むなしさ」を感じたんです。そんな「むなしさ」を社会からなくしたいという、過去のカルマがいまだにあるのかなと思います。
前野 僕も同じです。最初の9年間はメーカーにいて、その後、慶應義塾大学の機械工学科に13年間在籍して、そしていまの場所に13年いるんです。確かに、最初のカルマを次のステップで解いて、またさらに次の段階に行くことの繰り返しですね。
これは「成人発達理論」とよく似ています。まずはロジカルな世界で、戦って勝つことを鍛えて、そのうち限界に気づいて次の段階に進みたくなる、というのが人間の本能なのでしょう。
(3月28日(日)公開の第2回に続く)