心を決めようとしても、
そう簡単に心は決まらない

 実際、僕がプルデンシャル生命保険で「日本一になる」と心が決まるまでには、相当の時間が必要でした。

 もちろん、僕がプルデンシャル生命保険の営業マンになったのは、「日本一の営業会社で日本一になる」ことで、京大アメフト部時代に「本気」になれなかった自分を取り戻すためでしたから、「日本一になる」と僕は何度も何度も自分に言い聞かせていましたし、知人に対して「俺は、プルデンシャルで日本一になる」と宣言したこともありました。

 だけど、それだけで「本気で思い込める」ほど人間は簡単ではありません。

「日本一になる」と口に出して言ってみても、心の底の底では「難しいで……」「無理ちゃうか……」という声が聞こえていたのです。

 しかも、プルデンシャルに入社してすぐの頃はそれなりの成績を出せたものの、入社半年ほどでクーリングオフという挫折を味わったうえに、成績は“ジリ貧”に陥っていました。

 唯一の明るい材料は、「売ろう」とするのではなく、お客様の「信頼」を蓄積することで、新規のお客様をご紹介いただけるという実体験をしたこと。この体験で、営業の本質に触れられたような手応えを感じていたのです(詳しくは連載第15回参照)。

 とはいえ、「目先の売上」を追いかける営業スタイルから、「信頼という資産」を蓄積する営業スタイルへと切り替えることに成功できたとしても、それで実際に成績が出始めるまでには一定の時間が必要です。苦しい状況であることに変わりはなかったのです。

 そんな状態でしたから、当時の僕には、「本当に状況は好転するだろうか?」という不安のほうが大きかった。本当のことを言えば、不安で不安で吐き気がするような毎日でした。とてもではありませんが、本気で「日本一になる」などと思えるような状況ではなかったのです。

「天啓が降る」ように心は決まる

 ところが、そんな僕に、「日本一になる」と心が決まる瞬間が訪れます。

 決して、自分の意思で心を決めたわけではありません。僕は、ずっと「日本一になるぞ、日本一になるぞ」と自分に暗示をかけるように言い聞かせていましたが、なかなか気持ちは固まらなかったのに、とても不思議なことですが、ある瞬間に、まるで「天啓が降った」かのように心が決まったのです。

 あれは、クーリングオフがあってから3ヵ月ほど経った頃のことです。

 8月7日に長男の榮己(はるちか)が産まれたこともあって、僕は1週間の休暇をもらって、家族を連れて軽井沢に旅行に行くことにしました。

 入社一年目の新人が、たいした成果も出していないのに、1週間も休暇をとるのは“非常識”なことだという自覚はありましたが、仕事からちょっと離れることで、気持ちを整理することができると考えて、思い切って休暇を取りました(本当は逃げたかったのかもしれませんが……)。

 ところが、家族水入らずの旅行を心から楽しむことはできませんでした。

 僕はフルコミッションの営業マンですから、1週間仕事をしないということは、将来入ってくるお金は「ゼロ」ということです。それを思うとヒリヒリするような焦りを感じました。

 仕事がうまくいっていないうえに、今もこうして休んでいるという事実が、僕の心の中の不安をさらに増長していったのです。家族で遊んでいても、心ここにあらず。むしろ、楽しそうにしている家族の笑顔に、心が押しつぶされるような感覚を覚えていました。

 特に、妻に対しては「特別な思い」がありました。

 というのは、彼女は、プルデンシャル生命保険への転職に一切反対せず、それどころかドンと僕の背中を押してくれたからです。

 普通、夫が恵まれた職場であるTBSを辞めて、フルコミッションの営業マンになると言ったら、”嫁ブロック”を発動するはずです。だけど、恐る恐る「転職したいんや」と言うと、彼女は「ああそう」としか応えませんでした。僕が重ねて「いいの?」と聞いたら、「だって、もう決めてるんでしょ?」と静かに言いました。

 ただし、条件があると言います。二人目の子どもをつくるのが条件だ、と。僕はびっくりして、「それはリスクやぞ。固定給ないんやし……」と言うと、彼女はこう言いました。「覚悟決まるやん」。これには、正直しびれました。いわば、僕は、妻に腹をくくらされたわけです。