プルデンシャル生命保険で「前人未到」の圧倒的な業績を残した「伝説の営業マン」である金沢景敏さん。営業マンになった当初はたいへん苦労しましたが、あることをきっかけに「売ろう」とするのをやめた結果、自然にお客様から次々と「あなたからサービスを買いたい」と連絡が入るようになりました。どうすれば、そのような営業スタイルを作り上げることができるのか? 本連載では、金沢さんの初著作『超★営業思考』を抜粋しながら、その「秘密」をお伝えしてまいります。

ネガティブに考える人ほど、“ものすごい結果”を出している理由Photo: Adobe Stock

「高い目標」をもつのではなく、
「◯◯になる」と決めることが大事

 高い目標を設定せよ――。

 世間でよく言われることですが、僕も、これは「よい仕事」をするうえでは欠かせないことだと思います。

 僕も入社1年目で、プルデンシャル生命保険の個人保険部門において「日本一」になることができましたが、それは、「日本一」になることを目標に頑張ったからです。富士山に登ろうとしなくて、富士山に登った人はいないと言いますが、「日本一」になろうとせずに、「日本一」になれるほど、保険営業の世界は甘くはありません。

 ただし、「高い目標」という言葉には注意が必要です。

 目標という言葉を辞書で調べると、「そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの」と書いてあります。例えば、「あの島を目標にして東へ進もう」というふうに使います。つまり、厳密に言えば、「東へ進む」ことが目的で、その目印として「島」を目標にするということです。

 これを営業の仕事に当てはめると、「日本一になることを目標にして好成績を出そう」という感じの使い方をすることが多いのではないでしょうか? つまり、目的はあくまで「好成績を出す」ことであって、その目印として「日本一」を目標にするということ。ぶっちゃけて言えば、本気で「日本一」をめざしているわけではないということになります。

 しかし、僕は、それでは「日本一」にはなれないと思います。

 それを、僕は京大アメフト部時代に嫌というほど思い知らされました。あの頃、僕は口では「日本一になるぞ」と言っていましたが、本気ではありませんでした。

 今から思えば、心のどこかで、ライバル校に勝てないと思っていたし、練習に監督が来ない日には、「手を抜いても大丈夫かな」と思ったりしていました。そして、めちゃくちゃ過酷な練習だったので、「もう早く引退したいな」と思っている自分がいたのです。

 結局、僕は「日本一」になることはできなかったのですが、それは正確に言えば、「なれなかった」のではなく、そもそも本気ではなかったというだけのこと。そして、本気でないものが「日本一」になれるほど、アメフトというスポーツが甘いはずもない。つまり、僕は、しかるべくして「日本一」にはなれなかったのです。

 だから、僕は「高い目標」をもつだけではダメだと思っています。

「日本一になることを目標にして好成績を出そう」という程度の意識では、そこそこの成果しか生み出すことはできません。そうではなく、「日本一になる」と本気で思い込むことが大事なのです。「高い目標」などという言葉を通り越して、「日本一になる」と決めてしまうのです。そして、実は、これこそが仕事において、最も難易度の高いことではないかと思うのです。

ネガティブに考える人ほど、“ものすごい結果”を出している理由金沢景敏(かなざわ・あきとし)
元プルデンシャル生命保険ライフプランナー AthReebo(アスリーボ)株式会社 代表取締役
入社1年目にして、プルデンシャル生命保険の国内営業社員約3200人中の1位(個人保険部門)になったのみならず、日本の生命保険募集人登録者、約120万人の中で毎年60人前後しか認定されない「Top of the Table(TOT)」に3年目で到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な実績を残した。
1979年大阪府出身。東大寺学園高校では野球部に所属し、卒業後は浪人生活を経て、早稲田大学理工学部に入学。実家が営んでいた事業の倒産を機に、学費の負担を減らすため早稲田大学を中退し、京都大学への再受験を決意。2ヵ月の猛烈な受験勉強を経て京都大学工学部に再入学。京都大学ではアメリカンフットボール部で活躍した。
大学卒業後、2005年にTBS入社。スポーツ番組のディレクターや編成などを担当したが、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じて、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命保険に転職した。当初は、アポを入れようとしても拒否されたり、軽んじられるなどの“洗礼”を受けたほか、知人に無理やり売りつけようとして、人間関係を傷つけてしまうなどの苦渋も味わう。思うように成績を上げられず苦戦を強いられるなか、一冊の本との出会いから、「売ろうとするから、売れない」ことに気づき、営業スタイルを一変させる。
そして、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRT(Million Dollar Round Table)の6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、自ら営業をすることなく「あなたから買いたい」と言われる営業スタイルを確立し、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な業績をあげた。
2020年10月、プルデンシャル生命保険を退職。人生トータルでアスリートの生涯価値を最大化し、新たな価値と収益を創出するAthReebo(アスリーボ)株式会社を起業した。著書に『超★営業思考』(ダイヤモンド社)。