その言葉とは、「ありがとう」です。
「母さん、ありがとう! 俺たちもう大丈夫だよ」
そう次男さんは言ったのでした。
もしここで、
「家に連れて帰れないでごめんね」
で終わっていたら、「ごめんね」と思う理由を探し出し、
「女手ひとつで子育てを頑張らせてごめんね」
「家に帰らせてあげられなくてごめんね」
などという話が出るようになってしまっていたかもしれません。
けれど次男さんが、「ありがとう! 俺たちもう大丈夫だよ」と言ってくれたおかげで、みんなでありがたい理由を探し出して語り合うことができたのです。
別れは悲しいものですから、どうしてもそこにだけに目がいってしまうのですが、人生はそれだけではないと思うのです。
ある高齢の男性患者さんが亡くなったあと、私は息子さんにこう声をかけました。
「お父さん、笑うと、とってもかわいらしい人でしたね」
すると、息子さんは驚いたように言いました。
「親父は入院中に笑うことがあったんですか」
「よく笑ってましたよ。歯が1本しか残ってないから、笑うと、にたっという感じになって。かわいらしい人でしたね」
そう私が答えると、息子さんは目を潤ませました。
「親父の入院生活は、つらくて苦しいだけじゃなかったんですね」
ときに、高齢者は環境が変わるだけで、「せん妄」という症状が出て、混乱することがあります。
じつは、そのお父さんは他の病院から転院してきた方だったのですが、転院してきたばかりの頃、混乱してしまったのでしょう、
「なんで俺はこんなところにいるんだ」
と言っては、看護師を殴ったりしていました。
その様子を見ていた息子さんですから、「親父は、家に連れて帰らない自分を怒っている」と思っていたようです。