これから就職する学生についても、社会関係資本の違いが、従来以上に決定的な意味を持つようになるだろう。

 文化資本の蓄積があまりない家庭に育ち、友達作りが苦手で、デジタル環境も整っていない学生は、キャンパスライフが全面的にリモート化すると、進路選択や就職に関するインフォーマルな情報が途絶えてしまう。

 将来の見通しに関する個人的な思い込みが補正されず、見当外れな判断をしやすくなるかもしれない。

「飾り物のポスト」「無用な仕事」
が露呈する可能性もある

 もちろん、職場での一見“無駄なもの”が、実は全て役に立っている、ということにはならないだろう。無駄どころか、人間関係を破壊し創造性を壊す有害なものもある。

 ハラスメントに相当する行為やそれを許容する環境がその最たるものだが、その組織の正規の業務内容として設定されていても、第三者的に見て“無駄なもの”がある。

 昨年、翻訳されて日本でも話題になった文化人類学者デヴィッド・グレーバー(1961一2020年)の著書『ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)』(2018年)で取り上げられているような仕事だ。

 グレーバーが「ブルシット・ジョブ」と呼んでいるのは、大きな組織の中で公式的な役職として存在し、比較的高い報酬を得られるが、何をやっているのか、やるべきなのか、本人も含めてよく分かっておらず、本当に組織にとって必要なのか検証されたこともないけれど、業界のトレンドなので設置されているような役職のことだ。

 例えば「○○ファシリテーター」とか「△△アドミニストレーター」「□□アドバイザー」と呼ばれるようなものだ。

 部門間のコミュニケーションを促進して、円滑に業務を進めることや、職場の生産性をチェックして報告することなどを名目上の業務とする役職者が、英米の企業では増えており、日本でもその種の業務が導入されつつある。大学でも、そういうよく分からない役割の人が増えてきている。

 しかし、それらの人の仕事が本当に業務の改善に役立っているのか、実はその人たちによる厳密なチェックが義務付けられるせいで、余計な手間が増え、実質的なコストパフォーマンスは低下していないか、といったことは検証されていない。

 ましてやその人たちの仕事の効率をチェックするための役職を置いたり、外部の“専門家”に依頼したりすれば、屋上屋を架することになるだけだ。

 グレーバーの認識では、現代資本主義は、“効率化”の名の下に、そうした非生産的な官僚主義化の方向に進んでいる。