香港返還のとき、広州と蘇州を中心に取材した理由
時は1997年、香港返還の直前…。私は、民放テレビ局の特集番組を作るために、取材班を連れて中国本土へ飛んだ。
その1カ月後、番組の試写を見て、局の関係者が不思議がった。「香港返還なのに、なぜ蘇州と広州を中心に取材・編集したのか」と。中国本土の都市を撮ってもいいが、なぜ上海、深センではなく、蘇州と広州を選んだのかといった疑問が投げられてきたのだ。
その疑問に対して私は、次のように答えた。
「これまで中国経済の対外窓口という役割を果たしてきた香港は、中国本土への返還により、その役目がやがて解消されてしまうだろう。代わって、『広州と蘇州が代表する2つの地域』は中国経済の対外交流の新しい舞台となる。だから、私はこういう視点で香港返還の経済的意義を考えた」と主張した。
テレビ局側の関係者たちは寛大な気持ちで、私のわがままな主張を受け入れてくれた。しかし、「いくら何でも香港返還をテーマにした番組なので、冒頭だけでもいいから、香港の今を表現するシーンを入れてほしい」という注文もあった。
そこで、カメラマンと音声担当者を香港に送り込み、返還直前の香港の表情を追加撮影してもらった。