【第1位】口座が差し押さえられた
生きていると支払わなければならないものがたくさんある。水道光熱費はもちろんだし、税金関係など、とにかく我々は支払いに追われている。もちろん払わなければならないのだけれど、なんかいろいろあって、厳密にはいろいろなくて、ある支払いを私はすっかり忘れていた。
その結果、銀行口座が差し押さえられた。私の大切な、目に入れても痛くない銀行口座が差し押さえられたのだ。残高はともかくとして、それは考えないものとして、銀行口座は大切なのだ。それが差し押さえられたのだ。
払っていなかった私が悪い。ただ差し押さえられるとお金を引き出したりできなくなるようだ。そして、差し押さえられた日から私は北海道に行くことになっていた。朝、お金をおろしてから行こうと思ったので、財布には1000円しかない。でも、おろせない。なぜなら、差し押さえられているから。
30歳を超えてから、差し押さえられるとは思わなかった。私が何かの事業をしていて、たとえば失敗してお金がなくて差し押さえならまだわかる。でも、ちがう。私は何にもしていないのだ。事業も仕事もしていない。いや、仕事は少しだけある。少しだからこそ、差し押さえられたとも言えるけれど。
ということで、北海道に1000円だけ持って行くことになった。飛行機のチケットや移動のレンタカーなどは事前にあるので困らないけれど、食事などは困る。一緒に行っている人たちに、口座差し押さえの話をすると「大丈夫?」と聞かれるので、「大丈夫です」と私は大丈夫なふりをした。
食事をするときは一緒に行っている人にすべて払ってもらった。1000円はあるのでまったく払えないわけではないけれど、ここで1000円を払うと私が北海道で一番楽しみにしているセイコーマート(コンビニ)での、夜食のお買い物ができなくなってしまうのだ。
そのために同行者にごちそうしてくれ、と昼食、夜食はお願いするわけだ。
この本にも素晴らしい一文がある。
「自分の幸せを他人によって満たそうとしてはいけない」
そう、セイコーマートという幸せは自分の手によって満たさなければならない。セイコーマートのためにお金を借りて幸せになってはいけないのだ。そのために私は1000円を使わず、夜食以外の食事は払ってもらうのだ。もちろん、それでいいのだろうか?とも思う。
しかし、この本に素晴らしい一文がある。
「がんばることよりも重要なのは、最後まで自分を信じることです」
信じることなのだ。がんばってお金を払ってもいい。1000円はあるのだから。しかし、そこでがんばるよりも、セイコーマートの幸せを自分の手でもぎ取りたい。そういうことなのだ。セイコーマートを信じているのだ。
ちなみに後日、滞っていた支払いをして、口座の差し押さえ問題は解決しました。