グローバル・ビジネスの本当の姿
先日、娘夫婦が住むベルギーの港町・アントワープを訪ねた。
みなさんもご存知の通り、ベルギーは1885年、当時の国王レオポルド2世の時代にアフリカのコンゴを私有地化し、1908年からコンゴ民主共和国として独立する1960年まで植民地支配を続けた。その植民地時代にアフリカから持ち帰った収集品が、最近新装されたアントワープ美術館に展示されていた。
その美術館へ、私はベルギーの建設・開発最大手のDredging, Environmental and Marine-Engineering N.V.を経営するベルギー人の友人と出かけた。彼は今年のロンドン・オリンピックを手がけ、次回のブラジル、リオ・デ・ジャネイロ・オリンピックでもチャンスをものにしようと虎視眈々と狙っている。要するに、超やり手の実業家だ。
館内にずらりと並べられた「収奪の歴史」を二人で眺めていた時、彼がぽつりと言った。「ビジネスの競争はここにある『収奪』と少しも変わらない。『奪うか奪われるか』『やるかやられるか』だ」。世界中でハードなビジネスを勝ち抜いてきたすご腕の彼が、レオポルドヴィル(現在はコンゴの首都、キンシャサ)からベルギーに向けて発つ船の荷役作業を映す古びたビデオを前に立ちすくんでいる。その姿を見て、グッと来るものを感じた。
私自身も24歳でアフリカ・ガーナに渡ってから、これまでに製材工場からはじまって鉛筆工場、ビニールシート工場、ナッツ工場……と実にいろいろなビジネスをやってきたけれども、彼の言葉には「そうだよな」と共感する。
日本、特に世界でも稀に見るほど洗練された街・東京にいると、つい忘れてしまうが、ビジネスとは「生きるか死ぬか」「殺すか殺されるか」のとても動物的でシビアな世界なのだと思う。
たとえば、以前、僕がケニアで経営していたナッツ工場でこんなことがあった。当時、銀行に口座を持っている人などほとんどいなかったし、送金のシステムも整っていなかったので、工場では給料を現金で手渡すことになっていた。すると、その金を目当てに「強盗偽社員」があらわれて、給料をもらう長い列に紛れ込む。
すると、その「偽社員」を見つけるやいなや、本物の社員たちは彼を袋叩きにして殺してしまうのだ。そばにいる警備員は見て見ぬ振り。後になってやって来た警察官も「偽社員」の無惨な遺体を見て「よくやった」と褒めている。当然、殺した側が罪に問われることもない。人の仕事の報酬を盗んで人の生存権を脅かす者は、死んで当然なのだ。
ビジネス=仕事とは、本来「生きるか死ぬか」の問題、命の問題なんだと、その一件の報告を受けてつくづく思った。そして、労働の報酬を手に入れられるかどうかは「殺すか殺されるか」の問題なのだ。ここではアフリカ(ケニア)の例を引き合いに出したが、北米、ブラジル、ヨーロッパ……と、これまで地球上のさまざまな場所でビジネスをしてきた経験からしても、あのベルギー人実業家の言葉は真実を言い当てていると思う。