風のような言葉
アフリカと日本で違うところを挙げていけばキリがないが、なかでも「言葉の重み」はまったく違うと感じる。
たとえば、日本の会社で部下が上司に「明日までに○○をやっておきます」と約束すれば、ほぼ確実にその約束は守られる。ところが、アフリカではそうはならない。ケニアでナッツ工場を経営していた時も、現地人の部下に対して「今日までにやっておくことになっていた、○○はどうなった?」と聞いても、素知らぬ顔で「そんな約束、一体どこにあるんです?」と聞き返された経験が何度もあった。そして、彼らは必ずこんなふうに言ってのけるのだ。「言葉は風みたいなものですよ、社長」。
「男子の一言金鉄のごとし」「武士に二言なし」ということわざがあるように、日本ではいったん口から出た言葉は大変な重みを持つ。簡単に覆してはいけないし、破ればそれ相応の非難を受ける。
アフリカにおいて言葉が軽いのには、一夫多妻制が大きく影響していると思う。私が長く暮らしているケニアに限らず、アフリカの多くの地域では今も一夫多妻制が一般的だ。2人、3人といわず、それ以上の女性と結婚していたりする。正式に結婚していない「ガールフレンド」も含めると、一人の男性が付き合っている女性は相当の数になる。
その一人ひとりから「あなた、私のことを一番愛していると言って」と迫られれば、どんなに誠実な男でも「君のことを一番愛しているに決まってるじゃないか」と答えざるをえない。本人としても、それは必ずしも嘘ではないはずだ。「君のことを一番愛している」と口にした瞬間瞬間は、自分の言葉が紛れもない真実だと感じている。こういう場面が日常的にある世界では、自然と「言葉は風のようなもの」になってしまうのだろう。
「いい加減」と言ってしまえばそれまでだが、私はそこに何とも言えない清々しさを感じる。どんな言葉にも縛られない身軽さがある。