「世界の外」を見せてくれる言葉

ケニアが育てた100万人の“グランパ”(2)<br />「発展途上の自分」を作る今年7月に刊行されたばかりの佐藤さんの著書。波瀾万丈の半生が綴られ、刊行後、取材や面会の依頼が絶えなくなったという。『アフリカの奇跡』(朝日新聞出版、定価1400円+税)

 フランスの大統領がかつて記者たちから自身の愛人問題について尋ねられ、「エ・アロール(それが、どうした)?」と答えたのは有名な話だ。

「それが、どうした?」と言われた時、記者たちは何を感じただろう。きっと、自分たちがこれから記事にまとめようと思っていた言葉が頭のなかで一瞬にして無意味になり、二の句が継げなくなってしまったに違いない。「浮気」は社会的に咎められるべきことで、ましてや一国の大統領がプライベートで不誠実な男であっては困る。といった通念が、「それが、どうした?」でたちまち打ち砕かれてしまった。

 ちょっと下世話な例になってしまったが、言葉が持つ本来の力はそういうところにあるのではないかと常々思っている。今、目の前にあるものを打ち砕いて、それまで見たことのない「外」を見せてくれる。それが、本当に意味のある言葉ではないだろうか。

 少し前に縁があって、自分の半生を本にまとめる機会を持った。自分の名前が著者名として印字された本が、あちこちの本屋の棚に並んでいるのを見るのは、何とも不思議な感じがした。何千人、ともするとそれ以上の人が実際に手にとって私の半生について読み、感動したり、興奮したり、場合によっては期待外れだったと憤慨したりしたのだろう。

いずれにしろ、私の言葉が読む人を自由にしてくれるものであったなら、本望だ。「こんな生きかたがしたい」ではなく、「どんな生きかたもできるんだ」と思ってくれたなら、本当に嬉しい。言葉は、人を縛るものであってはならない。私の70数年の人生は、数えきれないほどの偶然や幸運がない混ぜになった一回かぎりのもの。

この記事を読んでくれたみなさんには、いつまでも「外へ出たい」という衝動を育て続けて、軽やかに生き続けてほしい。

(次回は12月11日更新予定です)