専門家は、DNAワクチン、mRNAワクチンの新しいテクノロジーには懐疑的だったのだ。世界中でワクチン開発が進み始めてからも、国内製薬会社と従来型の手法による「国産ワクチン」の開発にこだわった(第271回・p3)。
しかし、世界各国がワクチン接種を開始し始めると、首相官邸は業を煮やし、2021年1月下旬に河野太郎担当相がファイザーとの直接交渉に乗り出した。だが、ファイザーは「首相を出してほしい」と突っぱねた。菅義偉首相がファイザーと電話で直接交渉したのは4月17日だった。遅きに失したと、断ぜざるを得ないだろう。
要するに、新型コロナ感染症対策のうち、「医療体制の確立」「ワクチン開発・接種」については、専門家が機能不全だったと厳しく評価せざるを得ない。現在の分科会のメンバーは、五輪開催の是非を提言する以前に、菅首相から更迭されてもおかしくないレベルなのではないか。
しかし、分科会委員の更迭は、国民の強い反発を受けて、菅内閣の支持率低下を招く。現実的には難しいが、せめて分科会に新たなメンバーを加えてはどうだろうか。
東日本大震災でも招集された英国のプロフェッショナル集団とは
医療体制については、今後変異種の感染拡大による「第5波」「第6波」の懸念がある。ワクチン接種が進むとしても、十分な体制を構築して迎え撃つ必要がある。
分科会の機能不全は、感染症以外の医学者が入っていないために、そもそも「医療体制」の議論ができなかったことにある(第265回)。医療体制の議論は、『大病院が担う心臓移植、肺移植など高度な技術が必要な治療や手術(第262回・p2)』や、『中規模病院や開業医は「かかりつけ医」として担う、基礎疾患の定期健診(第262回・p5)』と、新型コロナの重症医療の3つをどうバランスさせるかを議論する必要がある。

それは感染症の専門家だけの会議体では無理なのだ。医学界全体で議論して、国が地方自治体に対して指針を示さなければできない。
私は、「オールジャパン」体制で感染症を迎え撃つ会議体の設置を提案してきた(第265回)。
その事例も、英国にある。前述のヴァランス科学顧問が代表を務める「非常時科学諮問委員会」(Science Advisory Group in Emergencies, SAGE)である。
SAGEは、2011年の東日本大震災・福島第一原発事故の際にも招集されている。地質学者、気象学者、放射線衛生の専門家、行動科学者など、多様な分野の専門家が、さまざまな可能性のあるシナリオを迅速にモデル化した。
そして、地震発生から6日以内に在日英国人のリスクの管理方法を英国政府に助言した。英国政府は助言に基づき、緊急時の立ち入り禁止区域外では動かないように、在日英国人に勧告できた。
また、SAGEは、エボラ出血熱の流行時には、感染症の専門家だけではなく、世界中の歴史家、人類学者、行動科学者、エンジニア、数学者を招集して対策を検討したという。政策決定には、危機に関連するあらゆる種類の証拠、情報源、専門性をすべて把握し、活用することが必要だという考え方なのだ(Donnelly et.al, 2018)。
私は、尾身会長ら分科会の専門家を批判したいのではない。専門家は、与えられた権限の範囲で最大限の努力を続けてこられたと思う。
むしろ、審議会の委員の選考、審議会に与えられた役割、政府と審議会の関係などの専門家が力量を十分に発揮できない、政策決定システムの制度設計に問題があるのではないだろうか。
・木村盛世(2021)『新型コロナ、本当のところどれだけ問題なのか』(飛鳥新社)
・Christ A. Donnelly et. Al (2018)“Four principles to make evidence synthesis more useful for policy,”Nature 558, 361-364 (2018)