旧国鉄、旧電電公社、旧専売公社の3公社民営化の道を開いたのが、鈴木善幸内閣で設置された第2次臨時行政調査会(通称「臨調」)。そのトップが経団連会長の土光敏夫だ。今も「土光臨調」として歴史に名を残す。「増税なき財政再建」を掲げ、政府には有無を言わせず「臨調答申の実行」を約束させた。
土光がメザシをおかずに朝食を取る清貧な生活ぶりがテレビで放送されると、「メザシの土光」はたちまち行政改革のシンボルになった。この土光臨調を閣僚として担当したのが中曽根康弘。鈴木が退陣すると中曽根は一気に権力の座に駆け上がった。
「行革グライダーに乗って政権を獲得できた」(中曽根)
戦後の日本政治の中でも特筆すべき存在感を放った民間人の一人が土光だった。土光の片言隻句によって政治が大きく動いた。
今また、コロナ禍の中で政治家以上にクローズアップされる医学者がいる。政府の感染症対策分科会会長の尾身茂だ。尾身は昨年の感染症拡大以来、国民にとって最も身近な存在の専門家といっていい。未知のウイルスに関して誰よりも分かりやすい言葉で国民に情報を提供し、警鐘を鳴らし続ける。その姿は首相が安倍晋三から菅義偉に代わっても、変わることがない。テレビのコメンテーターは「日本のお父さん」と評した。
その尾身が6月になって東京五輪開催に関して矢継ぎ早に問題提起した。