病院任せのがん治療から逃げ出し、手術を回避。だから、生き延びた

2020年3月に進行性食道がんの告知を受けた取材歴30年余の気鋭のジャーナリスト、金田信一郎さん。最初に入院した東大病院の治療法に疑問を抱き、病床で資料を読み漁り、真実を追究して東大病院を脱走。転院先の国立がん研究センター東病院でも土壇場で手術を回避し、自分に最も合う治療法に辿り着いた。その記録を綴ったのが、『ドキュメント がん治療選択 崖っぷちから自分に合う医療を探し当てたジャーナリストの闘病記』だ。自分や家族が突然がん告知を受け、後悔しない治療法を選ぶためにも、本書は間違いなく「読んでおいて良かった!」と太鼓判を押せる一冊だ。著者インタビュー1回目では、「がん告知を受けて標準治療のベルトコンベアに乗せられた」と金田さん語る日本のがん治療の実態について聞いた。(取材・構成/樺山美夏、写真/竹井俊晴)

まさかの進行性がん!そして東大病院へ

――国立がんセンターのデータで、日本人の2人に1人はがんになることが分かっています。金田さんは毎日、ビール2リットルと焼酎のストレートを明け方まで飲んでいたそうですが、「自分もがんになるかもしれない」という意識はあったのでしょうか?

金田信一郎(以下、金田) ありましたね。ただ、がんだけは何とか避けたいと思っていて、毎年、腫瘍マーカーの検査も受けていました。しかし健康診断のレントゲンで胃が荒れていると指摘され、「胃カメラをやってきてください」と言われて。地元のクリニックで検査してもらったらピロリ菌がいたんです。それで、ピロリ菌退治の薬を飲んで、医者に「消えましたね」と言われたのが、食道がんが見つかる1年3ヵ月前でした。

――ピロリ菌を退治した1年3ヵ月後に、居酒屋で突然吐いて、その後、千切りキャベツも喉に詰まるようになったそうですね。ただ、そのときはまだがんだと思っていない様子です。

金田 すっごい余裕でしたね。地元のクリニックに行っても、胃酸を抑える薬を処方されただけでしたから。でも、10日間薬を飲み続けても食べものが喉に詰まってしまう。これはおかしいな、と。

 それで、胃カメラで検査したら、食道に大きな突起の腫瘍が2つ、見つかったんです。そこで初めてがんの疑いがあるとクリニックの院長に言われました。その院長が東大卒で、東大病院の院長とつながっていて、2日後のアポをとってくれたんです。

――東大医学部同士で、話が早かったんですね。

金田 そのときはもう「ありがとうございます!」っていう感じでしたね。10年ほど前、おふくろも同じクリニックで胃がんが見つかって、同じように、東大病院の瀬戸先生が主治医として手術してもらったこともあったので。「まあ、手術で突起を取り除いてもらえば、1週間くらいで動けるようになるだろう」と軽く考えていました。東北で取材する予定や書籍原稿の締切もあったので、仕事のことしか考えていなかったですね。

 でもおふくろが、「そんなに早く復帰するのは無理じゃない?」というので、いろいろ調べ始めたんです。ネットで検索すると、食道の進行がんの画像がたくさん出てきて自分の腫瘍とよく似ていたので、「これは大変なことになったな」と。突起が大きい食道がんの手術は、肋骨を折って食道を切除する大手術になることも、段々と分かってきました。

 でもまだ、のんびりしていたんです。主治医が東大病院の院長ならなんとかしてくれるだろう、という期待と安心感があったので。

――東大病院だったら、多くの人はそう思うでしょうね。けれども金田さんは、瀬戸先生から「検査結果を1週間後に伝えます」と言われた後、告知までの間に、友人に勧められたクリニックでセカンドオピニオンを受けました。その友人に「病院と医者は自分で選ばないとダメ」と言われたことで、意識が変わったのでしょうか。

金田 そのときは、まだピンときていませんでした。「そうは言っても東大病院だし、ほかの病院に行くなんてあり得ない」と思っていて。だから、勉強のつもりで紹介してもらったクリニックに行ったんです。

 ところが、そこで内視鏡を見たら、食道の下と真ん中あたりにデカい突起が2つ、喉の下にも1つ突起があって、進行の食道がんだろうということがわかってきた。ステージ4になると手術できないことも調べていたから、東大で告知を受けるまでは、ステージ4でないことを願うだけでした。

 食道がんは、手術で食道を切除すれば助かるといろんな人が言っていたから、「手術すると言ってもらえればいいんだけど」と思っていたわけです。そのときはまだ放射線で治療するという頭はまったくなかったんですね、勉強不足で。