ジャーナリスト
1967年東京都生まれ。「日経ビジネス」記者・ニューヨーク特派員、日本経済新聞編集委員を経て2019年に独立、会員誌「Voice of Souls」を創刊。著書に『つなぐ時計 吉祥寺に生まれたメーカーKnotの軌跡』(新潮社)、『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』(日本経済新聞出版)、『テレビはなぜ、つまらなくなったのか』(日経BP)、『真説バブル』(日経BP、共著)がある。
病院でベルトコンベアに乗せられ
モノのように扱われた違和感
――結局、瀬戸先生からステージ2から3の食道がんと告知されて、治療の同意書にも素直にサインしました。その後、抗がん剤治療も始まって、標準治療の一般的な流れにいったん乗ったわけですが、途中で転院しようと思った最大の理由はなんだったのでしょうか。
金田 医療のベルトコンベアに乗せられて、モノのように扱われているような感覚だったんです。これは別に東大病院に限った話じゃなく、日本のがん治療の問題だと思いますけど、がん患者は、マニュアル通りの治療を受ける存在で、それはまるで、ベルトコンベアの上を流れるハンバーガーのようなものなんです。
ワクチンを打つなどの簡単な治療なら、「はい次、はい次」という流れ作業でもいいと思いますよ。でも、臓器を失う患者にも同じように流れ作業で対応するのは、どう考えてもおかしい。患者の気持ちを理解しようとしないシステムだと感じたんです。
ただ、最初にセカンドオピニオンを勧めてくれた友人から、「患者にできることは医者と病院を選ぶことだけ」と言われなければ、私もあのままベルトコンベアに乗って、手術を受けていたかもしれません。それも友人は、「信用できる医者を選ばなければ後悔する」とも言いました。
東大病院で私の主治医は病院長の瀬戸先生だったけれども、執刀医が誰になるか分からない不安も大きかったですね。「この医者に自分の手術を任せても大丈夫だ」と思えなければ、治るイメージが持てませんから。転院の一番の決め手になったのは、その点ですね。
執刀医は、手術件数と
コミュニケーション力で選ぶ
――転院先の国立がんセンター東病院で主治医になった藤田先生に、手術をお願いしたいと思った決め手はなんだったのでしょうか。
金田 1つは、手術の数です。食道がんの手術はきわめて難しく、経験がものを言う世界です。初期の胃がんなどで、一部を切除するだけなら、誰が手術するかということに、そこまで神経を使わなくてもいいと思います。
でも私の場合、かなり難易度の高い手術になると思われたので、多く手術を経験しているかどうかが執刀医を選ぶポイントでした。その点、がんセンター東病院の藤田先生は、年間に3ケタくらいの手術実績を積み重ねていて、トップクラスの名医だと分かりました。
同時に、人間としても信頼できました。めちゃくちゃ忙しいはずなのに、初対面からすごく余裕を感じさせる様子で。私の食道がんも、図を書きながら分かりやすく説明してくれ、患者の目を見て、気持ちを察しながら話してくれたんです。わずか30分ほどの面談でしたけど、ここまで丁寧に患者に応対してくれる医者がいるんだと感動したほどです。