スノーピーク山井会長が社長を退任した理由、そして後任の梨沙氏へ望むこととは? 提供:スノーピーク

2015年に東証1部へと市場を移したスノーピーク。2020年12月期まで15期連続増収、4期連続増益と勢いに乗っています。また、足許でも2021年12月期第1四半期は、売上高が前期比62.5%増の50億4590万円、四半期純利益が前期比330.4%増の4億1043万円と大幅に飛躍しています。会長の山井太さんが「ライフバリュー」経営について語る本シリーズ。今回は、社長を交代しようと考えた理由や、新社長の梨沙氏の経営手腕や、新社長へ望むことについて語ってもらいました。(聞き手/ダイヤモンド社編集委員 長谷川幸光)

36歳で社長に就任した時、
「60歳で退く」と決めていた

――2020年3月27日付で、当時、スノーピークの副社長を務めていた娘の梨沙さんが新たに就任しました。このタイミングで社長を梨沙さんに交代しようと考えた理由は何だったのでしょうか?

山井 太山井太(やまい・とおる)
1959年生まれ、新潟県三条市出身。明治大学卒業後、外資系商社勤務を経て1986年、父が創業したヤマコウに入社。アウトドア用品の開発を手掛け日本のアウトドアシーンにキャンプブームをもたらした。1996年に代表取締役社長に就任。社名をスノーピークに変更する。2014年12月東証マザーズに上場、2015年12月東証1部に市場変更。2020年に代表取締役社長を娘の山井梨沙氏に譲り、代表取締役会長に就任。著書に、『スノーピーク「好きなことだけ!」を仕事にする経営』、『スノーピーク「楽しいまま!」成長を続ける経営』(ともに日経BP)。 Photo by Teppei Hori

 私が社長に就任したのが1996年。当時、36歳でした。現社長の梨沙も30代で社長になりました。

 私は社長に就任した時、「60歳で社長を退く」と自分の中でイメージしていました。36歳で社長になって、本当に社長業、つまり経営者としての経験やスキルが備わってきたのは40歳あたりになってからでしょうか。

 その後の40代の10年、50代の10年と、それぞれを社長としてバランスよくやってこられたのは、30代で社長に就任し、最初の数年である意味、修業できたからだと思っています。50歳で社長に就任し、その後、70歳まで20年間、社長をしたとしても、同じことはできなかったでしょう。

 年をとって経験が増えるほど、オペレーションやマネジメントの能力は上がっていくものですが、エネルギーやクリエイティブな力というのは、客観的に見るとどうしても落ちてきます。新しいものをつくるための活力は、やはり年齢に応じて変わってくると思います。

 企業には活力が必要です。オペレーションやマネジメント型の人間が社長になると、既存事業の継続は可能ですが、新しいことが起こらない会社になってしまう。企業が成長するためには、エネルギーやクリエイティブな力のほうが比重が大きい。私たちのような会社は、「ゼロイチ」(詳細は『ゼロイチのマインドを持て!「スノーピーク・パーソン」の3大要素を会長が語る』を参照)を行うことができなければ継続できませんからね。

 60歳になる2〜3年前、社長を自分が辞めるとしたら、できれば30代で「きちんと未来をつくることのできる人間」を後継者にしないといけないと、考えるようになりました。

 そのあたりのバランスを考え、30代の人間であることに照準を合わせて、後継者を選びました。

――36歳で社長に就任した時点で、「60歳で社長を退任する」と考えていたのですね。

 はい。ずっと公言していました。

――梨沙さんの社長就任から1年3カ月が過ぎました。山井会長から見て、新社長の梨沙さんの経営手腕はどう映りましたか?