転職サイト「ビズリーチ」などを運営する巨大スタートアップ、ビジョナル。『突き抜けるまで問い続けろ』では創業後の挫折と奮闘、急成長を描いています。「ビズリーチ」を一躍有名にしたのがテレビCMです。しかし意外なことに、ビズリーチが初めてテレビCMを放映した当日、問い合わせの電話は1本もなかったそうです。『突き抜けるまで問い続けろ』第五章の内容を一部編集して紹介します。(本文は敬称略)
■CM誕生秘話01回目▶「ビズリーチのテレビCM、窮地に追い込まれて打った最後の大勝負だった」
■CM誕生秘話02回目▶「ビズリーチ、調べ抜いて見つけ出した「テレビCMの成功パターン」」
■CM誕生秘話03回目▶「テレビCMでおなじみの「ビズリーーーチ!」ポーズはこうして生まれた」
(前回までのあらすじ)窮地に追い込まれていたビズリーチ創業者の南壮一郎は、最初で最後の大勝負としてテレビCMに挑戦する。ターゲットや訴求ポイント、印象的なポーズも決まった。果たして、その成果はどうだったのだろうか。
テレビCM向けの体制を構築
テレビCMの制作の傍ら、南はもう一つ、ある指示を社内に出していた。それは、マーケティングと営業の特別体制の構築だ。
CMを放映したからといって、企業がいきなりビズリーチに問い合わせてくるほど世の中は甘くない。大切なのは、テレビCMによって認知が高まったタイミングで、企業からの問い合わせを増やすマーケティング戦略を組み、同時に電話営業の体制を構築することだ。
テレビCMの効果は持って1カ月。認知が一時的に高まっているボーナスタイムに、どれだけの企業の導入契約と求職者を増やすことができるかが成否のカギを握る。
しかし、テレビCMに向けた社内のマーケティング体制はまだ整っていなかった。
その任務を担ったのが中嶋孝昌(現ビジョナル・インキュベーション Logitech 推進室室長)だ。当時、ビズリーチのマーケティング全般を任っていた中嶋は、2011年7月にビズリーチに入社した社員番号16番の古参メンバーだ。創業初期から様々な新サービスやプロジェクトの立ち上げを任されており、南の信頼が厚い社員の一人である。
南らと共に過ごした時間が長い分、中嶋は今、何をすべきかすぐに理解して動き出した。
中嶋は、テレビCMによって起こる状況を想像し、マーケティングの全体設計を組んでいった。
テレビCM放映中、利用者はどのような流入経路からビズリーチにアクセスするのか。それぞれの動線を見直し、ホームページやランディングページを刷新していった。「バナー広告の画像をテレビCMと同じ女優に代えるだけで、登録率がぐんと上がる。それが分かったらスマホにも応用するといった、細かい調整を実施していった」と中嶋は言う。テレビCM以外の広告にも、テレビCMと同じ画像やコピーを掲載し、ブランドの統一感を強化。ほかにも、打てる手をすべて打つべく、社内の体制を整えていった。
すると、最終的には通常の体制よりも1・6倍の作業量が発生することが分かった。人員に換算すると20人ほど足りない。しかし営業チームは既にメンバーがフル稼働しており、新たな人を雇うこともコスト的に難しい。
頭を抱えていると、他部署の部長たちが応援に駆け付けてくれた。部長たちがエンジニアやアシスタントに声を掛け、全社総出で、電話の問い合わせ対応などの協力を申し出てくれたのだ。
「社運が懸かっているということを、みんな感じていたんだと思う」と中嶋は振り返る。
一本の問い合わせも来ない
突貫で社内の体制を整えつつ、社運を懸けて取り組んだテレビCMが、2016年2月7日に放映された。放送局はTBSとフジテレビ。
当日は日曜日だったが、念のために会社には問い合わせに対応できる営業組織が臨時出勤をしていた。中嶋もいても立ってもいられず、子どもを連れて出勤した。
そして、CMが流れる。しかし、電話は鳴らなかった。
その日、夕方まで待ったが、一本の問い合わせ電話もなかった。その翌日も、さらに次の日も反応は薄かった。
この先どうなるのだろう――。
口には出さなかったが、多くの社員がそんな不安に駆られていた。
変化が起きたのは、テレビCMの放映を始めてから、2週間後のことだった。
ただし、効果は電話による問い合わせという分かりやすい形ではなく、営業の現場に表れた。こちらがかけた営業電話を採用担当者につないでくれる確率がにわかに上昇したのだ。それまで止まっていた商談も、再開しようという連絡が相次ぎ、次第に成約率が上がっていった。
現場にいた多田もその流れを敏感に感じた。
「企業の稟議のスピードが格段に上がって、興味があるというお客様が顕著に増えていった。大手企業からも声が掛かるようになり、ビズリーチのサービス認知度が上がったことを、肌で感じられるようになった」
(2021年7月27日公開記事に続く)