気づけばスマホを見てしまう…という方も今どき多いだろう。しかし、使用せず持っているだけ、というときでも共感力が損なわれるという。しかも、子どもの場合は…?「世界的なリーディング・シンカー」といわれるノリーナ・ハーツ(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン名誉教授)の新刊『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』より紹介する。
分裂した自己
スマートフォンは共感力を損なわせる。目の前で起こっている物理的現実と、画面上に映し出される無数のメッセージの間で、自己が引き裂かれるからだ。多数の方面に注意を削がれると、目の前にいる人に注目したり、思いやりを向けたり、相手の視点で物事を見ることはほぼ不可能になる。
この現象はスマートフォンを使っていないときも起こる。
ワシントンのカフェで100組のカップルを観察した研究によると、テーブルに1台のスマートフォンが置かれているだけで、または、どちらかがスマートフォンを持っているだけで、カップルのお互いに対する親近感や共感は低下する。二人の関係が親密であるほど、スマートフォンが共感に与えるダメージは大きくなり、相手に理解されているとか、サポートされている、大切にされているという感覚は低下する。これはとりわけ懸念される現象だ。というのも、日常的に使われないと、それは衰えていく。
この10年で、(リアルな)交流の幅は縮小する一方だ。とくに若者はそうだろう。2018年の米国、英国、ドイツ、フランス、オーストラリア、日本の18~34歳の4000人を調査したところ、電話よりも文章でコミュニケーションを取るほうがいいと答えた人が75%に達した。
(コロナ禍による)ロックダウンはこれを変えた。一夜にして、昔ながらの電話が急増したのだ。米国では、2020年4月の1日の通話量が、近年の平均の2倍となり、1回当たりの通話時間も33%伸びた。若者も例外ではない。英国の携帯電話事業者O2によると、2020年3月のロックダウン開始以降、18~24歳のユーザーの四分の一が友達に電話をした。
もちろんビデオ通話も、ロックダウン中に急増した。2020年3月に、ズームやハウスパーティーやスカイプといったアプリのダウンロード数が爆発的に増え、マイクロソフト・チームズのビデオ通話は1000%以上増えた。スクリーンでしか「見た」ことがない相手と、オンラインデートを始めたカップルもいる。
共感とつながりを生み出すうえで、顔の表情が果たす役割は極めて大きい。表情は、相手の感情や思考や意図を示す最も重要な非言語的情報源だ。進化生物学者によると、顔の可塑性、すなわち何百もの筋肉を使って微妙な表情をつくる能力が発達したのは、まさに、初期の霊長類が互いに協力して助け合うためだった。
このことは現代の科学でも裏づけられている。人は対面コミュニケーションを取っているとき、無意識に相手のしぐさを模倣するだけでなく、脳波も同期していることが機能的MRI(fMRI)でわかったのだ。
ヘレン・リース博士は、著書『The Empathy Effect(共感効果)』(未邦訳)で次のように説明している。「ある感情を経験している人と一緒にいると、私たちもそれを感じるのは、その人の感情と表情とつらい経験が、見る者の脳、つまり私たちの脳にもマッピングされるからだ」。たとえば、誰かが泣いているのを見ると、自分が悲しい経験をしたときと同じ脳の領域が活性化する。
「だから涙に暮れている人や悲しんでいる人といると、私たちも悲しいと感じる。あるいは、興奮のようなポジティブな感情は伝播する。よくある『同感だ』という表現は、神経生物学的な根拠があるのだ」
こうしたミラーリング(模倣)は、つながりや共感を築くうえで不可欠だ。ところがオンラインでは、しょっちゅう映像がぎくしゃくしたり、映像と音声がずれたり、画面がフリーズしたり、ぼやけたりする。これでは相手をきちんと見たり、スムーズに同期することはできない。しかもビデオでは、カメラの角度のせいで、あるいは画面に映る自分の姿に気を取られて、コミュニケーションを取る相手と目が合わないことが多い。
だからビデオ通話の後、多くの人が満たされない気持ちを覚え、場合によっては、以前よりも孤立や断絶を感じる。ミズーリ州立大学スプリングフィールド校のIT・サイバーセキュリティー学部のシェリル・バーナム教授は、次のように語っている。
「対面コミュニケーションとビデオ会議の関係は、本物のブルーベリーマフィンと、ブルーベリーは1粒も入っていない、人工の香料と食感と保存料でできたパック売りブルーベリーマフィンと同じくらいの差がある」
どうやら21世紀の新しいデジタル・コミュニケーションは、感情的エンゲージメントや共感や理解を伝えるうえで、重大な欠陥と欠点があり、対話の質や人間関係の質を低下させるようだ。それらは、私たちが大切に思っている人と対面で話をしたり、一緒に時間を過ごしたりすることと比べると、質の低い代替手段であり、現代人の関係断絶に大きく寄与している。
スクリーンを遠ざけると子どもの共感力が高まる
こうしたコミュニケーション能力の欠落は、大学生よりも年少時から始まっている可能性がある。子どもたちの言語能力を低下させているのは、親のスマートフォン使用だけではない。英ブリストル大学のPEACHプロジェクトは2010年、10~11歳の子ども1000人を調査し、スクリーンタイム(テレビまたはコンピュータを見る時間)が1日2時間以上の子どもは、感情表現に困難を抱えている可能性が高いことを立証した。
もちろん、デバイスの用途によって結果は左右されるなど、反対意見はあるだろう。しかしスクリーンを遠ざけると、子どもたちの共感力が高まることを示す証拠がある。
UCLAの研究チームは、デジタル機器(スマートフォン、テレビ、インターネット)のない自然環境で、5日間キャンプに参加した10~11歳の子どもたちを調べた。参加者はキャンプの前と後に、写真や動画を見て、そこに登場する人の感情を当てるテストを受けた。すると、たった5日間スクリーンを見なかっただけで、子どもたちが他者の表情やボディランゲージといった非言語的な感情のサインを読み取り、写真や動画に登場する人の気持ちを理解する能力は大幅に高まった。その能力は、キャンプに行かず、いつもどおりデジタル機器を使っていた子どもたちと比べても高かった。これは、デジタル機器がないと、仲間や大人と対面で交流する時間が大幅に増えるからだと、研究チームは考えている。「スクリーンでは、対面コミュニケーションほどたくさんの非言語的な感情のサインを学べない」と、研究論文の主筆を務めたヤルダ・T・ウルスUCLA非常勤助教は言う。
スクリーンタイムが子どもに与える影響については、テレビが普及し始めた1950年代から警告されてきた。だが、ここでも現在はスケールが違う。子どもたちがテレビを見る時間は、番組の放送スケジュールに左右されていたが、今は10歳児の半分がスマートフォンを持っている(英国のデータだが、ほかの高所得国でも似たような状況だろう)。その半分以上がベッドの横に置いて就寝する。現代のデバイスは、あらゆるとき、あらゆることに使われる。さらにその抗い難い性質が加わって、質の高い対面交流が失われているのだ。
スクリーンフリーの生活
このため、自分の子にはスクリーンフリーの(デジタル機器を使わない)生活を積極的に推進する親がいる。
皮肉にも、そのトレンドを牽引するのは、シリコンバレーの企業に勤める親だ。彼らは自分の子どもたちにスマートフォンの使用を禁止し、スクリーンフリーの学校に行かせる可能性が最も高いグループの一つだ。故スティーブ・ジョブズは、子どもたちが自宅でテクノロジーを使う時間を制限していたことで知られるし、ビル・ゲイツは子どもたちが14歳になるまで携帯電話を持たせず、その後もスクリーンタイムを厳しく制限したという。
ニューヨーク・タイムズ紙は2011年に、シリコンバレーなどテクノロジー企業の経営幹部が多く住む地域で、シュタイナー教育など、スクリーンフリーの実験的な教育法を実践する学校の人気が高まっていることを報じている。なかには子守りの雇用契約に、子どもたちの前で自分のスマートフォンを使わないこと、という条項を盛り込む親もいる。その偽善は明白だ。彼らの一部は、こうしたデバイスを中毒的にしている企業に勤めていて、「帰宅してもスマートフォンをいじるのに忙しく、子どもたちの言葉をちっとも聞いていない」と、サンノゼで子守りとして働くシャノン・ジマーマンは言う。
最富裕層は子守りを雇う経済的余裕があるから、子どもたちにスクリーンタイムのルールを守らせることができるが、大多数の世帯にとって、それは現実的な選択肢ではない。米国の低所得家庭のティーンエイジャーとトゥイーン(8~12歳)は、放課後のスポーツクラブや習い事に通う経済的余裕がないため、富裕層の子どもよりも1日のスクリーンタイムが約2時間長い。英国でも同じような現象が見られると、教育関係者は言う。
非常に裕福な親が、自分の子のスクリーンタイムを減らし、名門大学が人の表情を読む授業を設けるなか、金持ちの子どもは共感力やコミュニケーション能力が高く、貧困家庭の子どものコミュニケーション能力は低いという新たな分断を許してはならない。すべての子どもが、こうした重要スキルを身につけることは、人類の未来にとって絶対的に必要だ。そのためには、あらゆる所得層の子どもが放課後のクラブ活動に参加できるようにするとともに、学校でデジタル機器を使った学習と、対面の授業や交流のバランスを取る必要がある。