突然、告げられた進行がん。そこから、東大病院、がんセンターと渡り歩き、ほかにも多くの名医に話を聞きながら、自分に合った治療を探し求めていくがん治療ノンフィクション『ドキュメントがん治療選択』。本書の連動するこの連載では、独自の取材を重ねてがんを克服した著者の金田信一郎氏が、同じくがんを克服した各界のキーパーソンに取材します。今回登場するのは大腸がんが発覚して人工肛門になった漫画家・小説家の内田春菊さん。第2回では人工肛門になった流れについて聞きました。(聞き手は金田信一郎氏)

■内田春菊さんの「がん治療選択」01回目▶「内田春菊さんも紹介された多様ながん治療、奇跡的に治る人も」

大腸がんで「人工肛門になる」と告知された内田春菊さんの今漫画家・小説家・エッセイスト・女優の内田春菊さん。がんの経験を描いた漫画『がんまんが』 『すとまんが』も好評発売中です。
大腸がんで「人工肛門になる」と告知された内田春菊さんの今2021年10月6日~10日には、内田春菊さん作、ペーター・ゲスナーさん構成・演出の「がん患者だもの、みつを」が公演されます。

――内田さんはがんが発覚する前、がんになるかもしれないという予感はありましたか。たしか、最初はダイエットをしようとしていたんですよね。

内田春菊さん(以下、内田) ヴィヴィアン・ウエストウッドのスーツを持っていたんですけど、それをまた着たいと思ってダイエットを始めたんです。もともとあまり健康じゃないですし、ずっと座って漫画を書いてきました。便秘で、本来なら、医者にかからなきゃいけないレベルになっていたんです。トイレに何度も行くけれど、出ない。あんまり気にしていなかったんですけど、さすがに便秘ももう嫌だな、と。

 それで、痔の治療で評判のいい地元のクリニックに行ってみたんです。やる気満々の先生で、検査前は「みんな、悩みはありますよね」なんて言っていたんです。でも、実際に内視鏡検査をしてみたら、もう見た途端に彼は確信を持ったんでしょうね、顔色が変わった。

「一刻を争う」と言ったんです。私も「がんかもしれないってことですか」と聞けばいいんでしょうが、はっきりと「がんだ」とも言われたくもなくて。本当の診断を下すには、細胞検査をしないといけないんですよね。

 その後、地元のクリニックから大病院に行って、改めて検査をしました。そこで以前お世話になった先生に相談したら、「すぐに検査に来てくれ」と言われたんです。緊急の検査をしてみたけど、私自身はとっても元気だったんです。だからその大病院の先生も「腸閉塞か何かで苦しんでいるのか」と思ったみたいです。

――親しい間柄だった内田さんを早く自分の病院に連れてきて、自分が信頼している外科医の先生に診てもらって治そうと思ったんでしょうね。

内田 その時、始めてCT検査もしました。私はその時はまだ知識もまったくなかったんです。

――それで、先生の診断は直腸がんで、「すぐ手術できるけど、人工肛門になる」と。

内田 もう、ただただびっくりしました。大腸を切った時点で、人工肛門を付ける必要が出ますよね。私は、信頼できる医師チームに任せようと思うしかありませんでした。手術も内視鏡で取れるがんは取る、と言ってくれたけれど、よく考えたら、がんが邪魔して内視鏡も腸に入らないような状態でいした。内視鏡で取れる範囲ではなかったんですよ。

 それで、結局その日のうちに「人工肛門」という言葉が出てきました。それを想像してないから現実味がなくって。

 それまでに私、盲腸くらいの軽い病気はしたことはあります。子宮外妊娠の治療で手術したときにも全身麻酔は経験しました。ただ、本格的な手術は初めてだったので緊張しましたね。

――手術の前の抗がん剤はきつくはなかったですか。

内田 抗がん剤はきついと聞いていました。髪の毛も抜けるし。ただ、私が受けたのはそういう種類のものではありませんでした。実際、ちょっと気持ち悪いことはあったし、指先に少し痺れは出ていましたが、それくらいでした。

 それよりも、肛門部の再発だけは避けたいという思いが強かったですね。場合によっては、骨まで取って、もう座れない生活になる人もいるそうです。担当医は肛門を取ったほうがいいと薦めてくるんです。「残しても大変な生活になりますよ」と。その言葉が心に残って、最後には「はい、取ってください」と決断を下しました。

 実際、看護師さんに聞いてみると、あのまま肛門を残しても、便を貯めておく場所がないから、1日に20回くらいトイレに行くようになるそうなんです。トイレのことしか考えられないような生活になってしまう。それは無理だから、「人工肛門にしてください」と思うようになりました。今でも1日4回くらいはトイレに通いますが、それでも落ちついていますよね。

 ありがたかったのは、手術を受ける前に、手術後の生活の説明を繰り返し、それは丁寧にしてくれたことでした。その説明にもズレはありませんでした。先生なりの「標準治療」を教えてくれたんです。

――実際に標準治療という言葉も出たんですか。

内田 標準治療というよりも、「こういうケースも、こういうケースもありますが、僕はこの方がいいと思います。ただ、最後に選ぶのは内田さんです」という立ち位置でした。

 だから、きっと私が「どうしても肛門をなくすのは嫌だから残してくれ」と主張したら、残してくれたのかもしれません。ただ、その場合の再発がどんなに悲惨かということは力説されました。再発しないという保証はありませんから。

 肛門部を残したら、そこから再発しやすいということでした。「できればもう1回抗がん剤をしよう」と言われたときも、「ものすごく効いたから念のため、やっておきたい。再発率が10%下がります」という説明を受けました。

――手術が終わって麻酔から覚めて、人工肛門なったというのはどうやって分かったんですか。

内田 まだ点滴につながれたまま、口から何も食べられない状態だったんですが、看護師さんが、「はい。大丈夫ですね」って傷の確認をしてくれていたんです。その様子で分かりました。

 手術前の説明では、最初に腹腔鏡手術でお腹に4つくらい穴を空けて、そこから手術できないかと挑戦するということでした。ただ腹腔鏡手術が難しいと分かったら、すぐに開腹手術に切り替えて肛門部ごと取ると聞いていました。手術時間も短くて、うまくいったそうなんですが、結局は開腹手術と判断したんでしょうね。看護師さんの術後の傷を確認する位置を見て、「ああ、人工肛門になったんだ」と分かりました。
(2021年8月9日公開記事に続く)