プルデンシャル生命保険で「前人未到」の圧倒的な業績を残した「伝説の営業マン」である金沢景敏さん。営業マンになった当初はたいへん苦労しましたが、あることをきっかけに「売ろう」とするのをやめた結果、自然にお客様から次々と「あなたからサービスを買いたい」と連絡が入るようになりました。どうすれば、そのような営業スタイルを作り上げることができるのか? 本連載では、金沢さんの初著作『超★営業思考』を抜粋しながら、その「秘密」をお伝えしてまいります。

超一流の営業マンが、アメフトの名監督に叩き込まれた「弱者の戦略」とは?写真はイメージです。Photo: Adobe Stock

「日本一」になったからこそ、
“地べた”を這いずって前進する

 初年度でプルデンシャル生命の「日本一」になった僕は、内心では焦っていました。

 もちろん、会社から「ドライデン・アワード」を贈られて、並みいる敏腕営業マンの前で受賞スピーチをする栄誉を与えられるなど、周囲の人々から祝福されるのは心から嬉しかったのですが、それは同時に、僕にとってプレッシャーでもありました。次年度に結果を残せず、“一発屋”で終わることが、“吐き気”がするほど怖かったのです。

 しかも、状況は悪かった。

 というのは、年度末の2ヵ月ほどは新規のお客様へのアプローチを一切やめていたために、新年度になった時点で、「見込み客」がほぼゼロの状態だったからです。いわば再び、ゼロから「母数」を積み上げていかなければならない状況に置かれていたのです(実際、期初の4~5月の売上は劇的に低下しました)。

 だから、僕は“寝袋生活”を継続することにしました(僕は平日は帰宅せず会社に寝泊まりして、仕事に全力を投入していました。詳しくはこちらの記事)。

「日本一になったんだし、もういいんじゃないか?」と言ってくれる人もいましたが、日本一になったからこそ続けなければならない、と思いました。「日本一」になって周囲からチヤホヤされることで、慢心が生じて結果が出せなくなるのはカッコ悪い。こういうときこそ、“地べた”を這いずって前進しようとすることこそが「カッコいい生き方」だと思ったのです。

超一流の営業マンが、アメフトの名監督に叩き込まれた「弱者の戦略」とは?金沢景敏(かなざわ・あきとし)
元プルデンシャル生命保険ライフプランナー AthReebo(アスリーボ)株式会社 代表取締役
1979年大阪府出身。京都大学ではアメリカンフットボール部で活躍。大学卒業後、TBS入社。テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じて、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命保険に転職した。当初は、思うように成績を上げられず苦戦を強いられるなか、一冊の本との出会いから、「売ろうとするから、売れない」ことに気づき、営業スタイルを一変させる。
そして、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRT(Million Dollar Round Table)の6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、自ら営業をすることなく「あなたから買いたい」と言われる営業スタイルを確立し、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な業績をあげた。
2020年10月、プルデンシャル生命保険を退職。人生トータルでアスリートの生涯価値を最大化し、新たな価値と収益を創出するAthReebo(アスリーボ)株式会社を設立した。著書に『超★営業思考』(ダイヤモンド社)。