プルデンシャル生命保険で「前人未到」の圧倒的な業績を残した「伝説の営業マン」である金沢景敏さん。営業マンになった当初はたいへん苦労しましたが、あることをきっかけに「売ろう」とするのをやめた結果、自然にお客様から次々と「あなたからサービスを買いたい」と連絡が入るようになりました。どうすれば、そのような営業スタイルを作り上げることができるのか? 本連載では、金沢さんの初著作『超★営業思考』を抜粋しながら、その「秘密」をお伝えしてまいります。

プルデンシャル生命“伝説の営業マン”が実践した、超過激な「働き方」とは?Photo: Adobe Stock

「絶対的な成功」のためには、
やれる限りのことをやるしかない

 僕は営業マンになってすぐに“過激”な決断をしました。

 週末以外は、家に帰らず、寝袋にくるまって会社に寝泊まりすることにしたのです。

 理由はもちろん、お客様にアプローチする「母数」を最大化するためでした(「母数」の重要性は連載第4回参照)。

 僕は、お客様が会ってくださる時間帯――朝の9時から夜の9時くらいまで――はすべて外回りの営業に費やして、事務処理や提案書の作成などの自分の仕事は、夜の10時ごろに帰社してから夜中までかけて行うことにしましたが、それもすぐに限界にきました。

 夜中まで仕事をして家に帰ろうとすると、さらに睡眠時間が削られてしまうのです。長女はまだ幼く可愛い盛りで、妻も妊娠中でしたので、本当は飛んで帰って寝顔だけでも見たい。でも、それでは身が持たない。そこで、妻とも相談したうえで、帰宅するのは週末だけにして、平日は寝袋にくるまって会社の床で寝泊まりすることにしたのです。

 働き方改革の時代に、逆行しているかもしれません。

 会社からは「やる気があるのはありがたいが、会社としてはそこまでの仕事は求めていない。普通の働き方で結果を出してほしい」と言われましたし、周りの人からは「過剰なやる気」にあきれられもしました。

 だけど、僕は、営業マンとして絶対的な成功を収めるために、一切の妥協なくやれる限りのことをやり抜きたいと思いました。中途半端なことをして、後悔だけはしたくなかった。妻もはじめは戸惑いを隠しませんでしたが、丁寧に思いを伝えると、「思う存分やりなさいよ。応援するから」と言ってくれました。彼女が理解してくれたからこそ、実行に移せたのです。

プルデンシャル生命“伝説の営業マン”が実践した、超過激な「働き方」とは?金沢景敏(かなざわ・あきとし)
元プルデンシャル生命保険ライフプランナー AthReebo(アスリーボ)株式会社 代表取締役
入社1年目にして、プルデンシャル生命保険の国内営業社員約3200人中の1位(個人保険部門)になったのみならず、日本の生命保険募集人登録者、約120万人の中で毎年60人前後しか認定されない「Top of the Table(TOT)」に3年目で到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な実績を残した。
1979年大阪府出身。東大寺学園高校では野球部に所属し、卒業後は浪人生活を経て、早稲田大学理工学部に入学。実家が営んでいた事業の倒産を機に、学費の負担を減らすため早稲田大学を中退し、京都大学への再受験を決意。2ヵ月の猛烈な受験勉強を経て京都大学工学部に再入学。京都大学ではアメリカンフットボール部で活躍した。
大学卒業後、2005年にTBS入社。スポーツ番組のディレクターや編成などを担当したが、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じて、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命保険に転職した。当初は、アポを入れようとしても拒否されたり、軽んじられるなどの“洗礼”を受けたほか、知人に無理やり売りつけようとして、人間関係を傷つけてしまうなどの苦渋も味わう。思うように成績を上げられず苦戦を強いられるなか、一冊の本との出会いから、「売ろうとするから、売れない」ことに気づき、営業スタイルを一変させる。
そして、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRT(Million Dollar Round Table)の6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、自ら営業をすることなく「あなたから買いたい」と言われる営業スタイルを確立し、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な業績をあげた。
2020年10月、プルデンシャル生命保険を退職。人生トータルでアスリートの生涯価値を最大化し、新たな価値と収益を創出するAthReebo(アスリーボ)株式会社を起業した。著書に『超★営業思考』(ダイヤモンド社)。