田原総一朗氏そもそも自民党の「派閥」とは一体何なのか?  Photo by Teppei Hori

8月26日、ジャーナリストの田原総一朗氏は首相官邸で菅首相と会談。その8日後に菅首相は自民党総裁選に立候補しないことを表明した。果たして兆候はあったのだろうか? そして今、総裁選の投開票に向けて候補者たちの論戦は活発化。「派閥の領袖の意向が通用しない初めての総裁選」を制するのは誰か? そもそも「派閥」とは一体何なのか? 田原氏に見解を聞いた。(聞き手/ダイヤモンド社編集委員 長谷川幸光)

菅首相は、総理の座にもともと
固執するような人物ではない

――自民党総裁選挙が佳境です。田原さんは前回、菅内閣の支持率が上がらなければ河野太郎行政・規制改革相が出馬することの可能性や、安倍晋三前首相が高市早苗前総務相を推す可能性を示唆していました。その後に菅義偉首相が退任を表明、結果的にその通りになりました。

田原総一朗田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県生まれ。1960年に早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。1964年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」等でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「城戸又一賞」受賞。早稲田大学特命教授を歴任(2017年3月まで)、現在は「大隈塾」塾頭を務める。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。近著に『こうすれば絶対よくなる!日本経済』(藤井聡氏との共著、アスコム)、『新L型経済 コロナ後の日本を立て直す』(冨山和彦氏との共著、KADOKAWA)など。 Photo by Teppei Hori

 何人かの有識者と日本の今後の経済について話し、僕なりの意見をまとめた。それを伝えようと8月26日に菅さんと会談したが、その時は「(総理として感染症対策を)政治生命をかけてがんばりたい」ときっぱりと語っていた。その覚悟がひしひしと伝わって来た。

 しかし状況が変わった。菅政権の支持率が30%を切ったことで、若手や中堅の議員たちが「このままでは自分たちは衆院選で落選するのではないか」と強い危機感を持った。

 全国のどの選挙区でも菅さんの評判が非常に悪い。菅さんが総理である限り自分たちは当選できない、菅さんには何とか辞めてもらいたい、このことを細田派や麻生派などの議員が各派閥の領袖に強く訴えたのだ。それで、菅さんの続投を望んでいた安倍さんも麻生さん(麻生太郎財務相)も、考えを変えざるを得なくなった。

 一方、菅さんは支持率を何とかして上げようと、自民党の人事について二階さん(二階俊博幹事長)に相談したところ、二階さんは、ではまずは僕が辞めようと言った。後任として、国民の人気が高い小泉さん(小泉進次郎環境相)を据えようと、4日間にわたって小泉さんを説得したが、結局、首を縦に振らなかった。

――なぜ小泉環境相は固辞したのでしょうか?

 小泉さんは、今、幹事長になっても、次の衆院選で勝てないかもしれない、そうなれば結局、辞めることになる、そう危惧したのだろう。菅さんはそのほかの人事も全部、断られてしまった。それで菅さんももうだめだと思ったのだろう。

――8月26日に田原さんが会談した時は、菅首相は内閣支持率の低下を気にしていましたか?

 いや、そうは感じなかった。菅さん自身は支持率はそれほど気にしていない。目の前のやるべきことに追われ、支持率に一喜一憂する余裕がなかったこともあると思うが、もともと総理の座に固執するような性格ではない。続投も退任も、自身の権力欲ではなく、自民党の維持を判断のよりどころにしている。就任時もそうだ。

 コロナ禍での政権運営というのは本当に難しく、誰が総理をやっても評価されることはまずない。そのような中、ワクチン確保への尽力や東京オリンピック・パラリンピックの開催など、前政権から受け継いだ課題に着実に取り組んだ。菅さんだからこそ官僚たちを動かすことができた。ほかの人だったらもっと混乱していたかもしれない。携帯電話料金の引き下げもこれだけ早く実現できたのは、総務相の経験があったからこそ。ただ、国民への情報発信に関しては不器用だったね。

――田原さんは、自民党総裁選は誰が有利と考えますか?