それが自分自身で選んだ環境でも与えられた環境であっても、楽しく過ごして幸せになれれば言うことはありません。とはいえ、ブラックな職場や陰湿な近隣関係といった、自力ではいかんともしがたい環境ならば、“恥”の意識をかなぐり捨てて、時にはそこから逃げてしまうことも大切です。(解説/僧侶 江田智昭)
逃げた後の生き方が問われる
広島のカトリック女子校・ノートルダム清心学園で理事長を長年務めていたシスターの渡辺和子さんが書かれた『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)が以前大変なベストセラーになりました。キリスト教だけでなく、仏教でも基本的には自分が置かれた境遇の中で最善を尽くすことの大切さを説きます。人間がみなそれぞれ置かれた場所で花を咲かすことができれば良いのですが、どうしても耐えることができない場合もあります。
苦しい世間の環境に耐えられず「出家」を選んだ人は昔から数多くいました。元となるインドの言葉には「積極的に前に進む」というような意味合いがあり、「出家」自体はポジティブな要素を含んでいるのですが、「出家」イコール「世間からの逃避」というイメージを持っている方が多いのではないかと思います。
実際、置かれた環境が自分に合うか合わないかはご縁の問題なので、己の能力や努力だけでは残念ながらコントロールできません。人間の適応力にも当然限界があり、職場や学校などの環境が自分に合わず、悩みに悩んで自死を選ぶ人たちが後を絶ちません。そのような事態を避ける意味でも、置かれている環境の中で強いストレスを感じている人は周囲に相談することも重要ですが、本当にどうしようもないときには、思い切ってその環境から逃げることも大切です。
その後ご縁があって結婚された新垣結衣さんと星野源さんのお二人が主演した『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)というドラマが2016年に大ヒットしました。このドラマタイトルはハンガリーの古いことわざだそうで、「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切である」という意味を含んでいます。日本では、逃げることが古くから“恥”であると捉えられていますが、その後をしっかり生き抜くことがやはり重要です。以前、あるお寺の掲示板に落語家の林家木久扇さんのこんな言葉が貼り出されていました。
人は、現実に進んだ道を「正解」にしちゃえばいいんですよ
逃げたという事実こそ残りますが、その意味付けは、その後の自分自身の生き方や活躍の度合いによって大きく変わります。結局のところ、一番大切なことは、逃げたこと自体ではなく、逃げて本当に良かったと思えるような生き方が、その後にできるかどうかなのです。
あのとき逃げて本当に良かったと心から思えるような充実した人生を送ることができれば、それは人生の「汚点」などではなく、「正解」に変わってしまうのです。いつも物事から逃げてばかりいると周囲から信用を失うかもしれませんが、本当にどうしようもないと思ったら、「勇気を持って逃げることも大切である」ということを忘れないでおきましょう。