自分なりに理解し、現状を受け入れるチャンスが得られる

 ならば「3D」を言わないようにしたら、どうなるでしょう?

「だったらさ、もっと収入が高いところに転職すればいいじゃん」
「でも……、じゃない。そんな仕事って見つかるかな?」
「とりあえず転職サイトとか見てみればいいじゃない?」
「そっか。うん。そうしてみる」

 それで転職サイトを調べてみると、ひょっとしたら本当に収入のいい仕事が見つかるかもしれません。もちろん、そう簡単に見つからないことのほうが多いでしょう。するとまた、不満の段階に戻ってしまうのか?

「ちょっとサイトを見てみたけど、転職活動って、やっぱり時間かかるみたいだね。まあ、今はこの仕事をそれなりに一生懸命にやって、またサイトをときどき見てみるよ」
「調べてみたけど、思っていたよりも条件のいいところはなかったね。今の仕事は、まだもらっているほうだったってわかったわ」
「給与が上がる仕事はあったんだけど、今より忙しくなっちゃうみたいだからなあ。この仕事である意味いいのかも……」

 いずれも「現状そのもの」は何も変わっていません。

 それでも不満を抱えて悩み、生きづらさを感じている状況は若干改善します。

 なぜかと言うと、“でも”を言わずに、言われたことをとりあえずちょっとやってみた結果、今の職場に対しての漠然とした不満を他と比較してみる機会ができるからです。

「今の環境は、この辺なんだな」
「何がなんでも転職しなくちゃダメか?」
「いや、そこまで頑張らなくてもいいか?」
「努力するか現状でキープか、を自分で比較するとキープのほうがよいと思える」

 というふうに、

「漠然とした不満が具体的にどの程度なのか」

 を自分なりに理解し、受け入れるチャンスを得たから、なのです。

 これは言い換えると「現状の受け入れ方」が大きく変わった結果、事態は変わっていないけれど、不満が減った=少し幸せになった、と言えます。

 人は「現状」がどういうものか理解できず、それを打開するために何をすればいいかがわからない場合に、漫然とした生きづらさを感じやすくなります。

「3D」を止め、逃げの連続を止められたなら、当然大きく人生が変化していきます。

「でも」「だって」「どうせ」の三つの言葉を排除するだけで、なぜ人生が変わるのか?バク@精神科医
元内科の精神科専門医
中高生時代イジメにあうが親や学校からの理解はなく、行く場所の確保を模索するうちにスクールカウンセラーの存在を知り、カウンセラーの道を志し文系に進学する。しかし「カウンセラーで食っていけるのはごく一部」という現実を知り、一念発起し、医師を目指し理転後、都内某私立大学医学部に入学。奨学金を得ながら、勉学とバイトにいそしみやっとのことで卒業。医師国家試験に合格。当初、内科医を専攻したが、医師研修中に父親が亡くなる喪失体験もあり、さまざまなことに対して自信を失う。医師を続けることを諦めかけるが、先輩の精神科主治医と出会うことで、精神科医として「第二の医師人生」をスタート。精神科単科病院にてさまざまな分野の精神科領域の治療に従事。アルコール依存症などの依存症患者への治療を通じて「人間の欲望」について示唆を得る。現在は、双極性障害(躁うつ病)や統合失調症、パーソナリティ障害などの患者が多い急性期精神科病棟の勤務医。「よりわかりやすく、誤解のない精神科医療」の啓発を目標に、医療従事者、患者、企業対象の講演等を行う。個人クリニック開業に向け奮闘中。うつ病を経験し、ADHDの医師としてTwitter(@DrYumekuiBaku)でも人気急上昇中。Twitterフォロワー4万人。『発達障害、うつサバイバーのバク@精神科医が明かす生きづらいがラクになる ゆるメンタル練習帳』が初の著書。