20年前、張会長が語っていた課題と日本企業への「憧れ」

 2000年春、ハイアールは米国のサウスカロライナ州カムデン市に3000万ドルを投資して米国における製造拠点を作った。それは面積44.5万平方メートルにおよび、第1期工事で年間20万台規模の生産能力を持つ冷蔵庫工場を稼働させた。

 今世紀初頭における、中国企業が米国で行った最大の産業投資プロジェクトである。カムデン市は、同社の地元での雇用などの貢献をたたえるため、工場付近の道路を「ハイアール通り」と命名した。これは、中国の企業名を冠した最初の米国の道路である。

 ニューヨークにもハイアール現地法人の立派なオフィスができた。中国のメディアはハイアールを大きく取り上げ、熱狂的に持ち上げた。しかし、同年、私の取材に応じた張氏は、むしろ寂しい表情を見せた。深夜まで及んだ長いインタビューで、栄光ある孤立状態にあったハイアールの悩みを聞かせてもらった。

「私たちの米国進出は、あくまでも一企業の事業判断による決断だけのものだったが、いつの間にか、中国という大きな旗印を背負わされるようになり、大きなプレッシャーを感じる。日本のようにたくさんの企業が海外進出しなければ、中国企業もブランドも注目される存在にはなれない。私たち1社だけでは、流れ星のような存在にすぎない。どんなに頑張っても、中国製品のイメージを高めるには限界がある。

 一方、海外市場に出ている日本企業を見ると、まるで銀河のような存在だ。松下電器、ソニー、東芝、日立…輝きを放つ星がいっぱいある。もっとたくさんの中国企業が海外に進出すべきだ。しかし、私たちの後についてくる企業はまだなかなか出てこない」

  大言壮語はない。あるのは、中国そのものを背負わせられた企業トップが覚えた深刻な孤独感と重圧感だ。ハイアールが今日まで健闘してこられた秘訣の一つは、自らを冷静に見つめ続ける張氏ら経営陣の一貫した態度にあると言えよう。