重要な政治決定の裏側には、スパイが絡んでいる。かつての国際的な危機や紛争、国家元首の動きもすべてお見通しだった。それは単なる偶然ではない。政治指導者の力でもない。さまざまな情報を分析したスパイたちのおかげだった。イギリスの“スパイの親玉”だったともいえる人物が、『イギリス諜報機関の元スパイが教える 最強の知的武装術 ――残酷な時代を乗り切る10のレッスン』を著した。スパイがどのように情報を収集し、分析し、活用しているのか? そのテクニックをかつての実例を深堀りしながら「10のレッスン」として解説している。マネジメントを含めた大所高所の視点を持ち合わせている点も魅力だ。本書から、その一部を特別公開する。
SEES分析─情報分析官(スパイ)の考え方
私はいま客員教授として、英ロンドン大学キングス・カレッジの戦争研究学部、仏パリ政治学院、ノルウェー・オスロの防衛大学で情報学を教えている。判断へ到達するまでのプロセスを説明し、適切な信頼性を確立する体系的な手法があると便利だというのが、私が経験から学んだことだ。私が開発したモデル─SEES分析─を使えば、さまざまなレベルから得た4種類の秘密情報を読み解くことができる。
SEES分析
何が起こっているのか、何に直面しているのか
●【第2段階】事実説明(Explanation)
いま目にしているものをなぜ見ているのかという関係者の動機
●【第3段階】状況予測(Estimates)
事態が異なる状況のもとでどう進展するか
●【第4段階】戦略的警告(Strategic notice)
何がいずれ問題になりそうか
このSEES分析の考え方の裏には、情報分析官の強力な論理が働いている。たとえば、極右グループによる暴動を調べるとしよう。
SEES分析の第1段階「状況認識」は、実際に何が起こっているのかをできるだけ正確に知ることだ。
まず、警察が暴動の報告を受けて目撃者を聴取し、法科学的な証拠を集める。いまはSNSやインターネットから多くの情報が得られるが、そうした情報の信頼性は精査しなければならない。それどころか、証拠が十分にある事実でさえ、さまざまに解釈されて問題を誤って誇張したり、矮小化したりすることもある。
SEES分析の第2段階は、実際に何が起こっているのかを「事実説明」することだ。
そのためには第1段階の「状況認識」に意味を加える必要がある。暴動の関係者の動機を理解したうえで、入手できる証拠から最も整合性のある説明を組み立てる。これは刑事裁判で検察と弁護側の法廷弁護士が、陪審員に対して異なる真実を提示するようなものだ。
たとえば、なぜ暴動の被告の指紋が、火炎瓶として使われたビール瓶のかけらについていたのか。そのビール瓶を被告が投げ込んだからか、それとも暴徒が火炎瓶をつくるために、被告のリサイクルボックスからビール瓶をとり出したからか。法廷ではこうした説明が検証され、陪審員は入手できた証拠に最も適した説明を選ばなければならない。証拠だけで真実がわかることは、めったにないからだ。
そのうえで、暴徒が集まった原因を理解しなければならない。何が彼らの怒りや憎しみを駆り立てたのか。そのことが説明できたら、SEES分析の第3段階として、時間の経過による変化を「状況予測」するのだ。この段階で警察が多くの人を逮捕し、暴動の首謀者たちに有罪判決がくだされることになる。逮捕や有罪判決によって、暴力行為の危険や人々の不安を減らせることが予測できる。こうして、証拠にもとづいた政策決定のための情報を得られる。
SEES分析の最終第4段階は、長期にわたる「戦略的警告」を発することだ。極右グループの暴動の例では、同様の動きがヨーロッパのほかの地域でも拡大するのかを知る必要があるだろう。これは一例にすぎないが、将来に賢く備えるために、今後の展開を予測するのが不可欠である事例は多い。
SEES分析の第4段階は、何が、なぜ起こったのか、次に何が起こりそうかを知るために、仕事のストレスでいら立っているときや、スポーツのチームが負けそうなときまで、どんな状況にも適用することができる。また、情報を得て、どんな行動をするのが最も良いかを決めるときにも使える。
英ケンブリッジ大学を卒業後、国内外の情報収集・暗号解読を担う諜報機関であるイギリスの政府通信本部(GCHQ)に勤務、国防省を経て、GCHQ長官、内務省事務次官を務める。内閣府では事務次官や首相に助言する初代内閣安全保障・情報調整官(日本の内閣危機管理監に相当)、情報機関を監督する合同情報委員会(JIC)の委員・議長の要職を歴任したスパイマスター。『イギリス諜報機関の元スパイが教える 最強の知的武装術 ――残酷な時代を乗り切る10のレッスン』を刊行。