重要な政治決定の裏側には、スパイが絡んでいる。かつての国際的な危機や紛争、国家元首の動きもすべてお見通しだった。それは単なる偶然ではない。政治指導者の力でもない。さまざまな情報を分析したスパイたちのおかげだった。イギリスの“スパイの親玉”だったともいえる人物が『イギリス諜報機関の元スパイが教える 最強の知的武装術 ――残酷な時代を乗り切る10のレッスン』を著した。スパイがどのように情報を収集し、分析し、活用しているのか? そのテクニックをかつての実例を深堀りしながら「10のレッスン」として解説している。マネジメントを含めた大所高所の視点を持ち合わせている点も魅力だ。本書から、その一部を特別公開する。

【イギリスの元スパイが説く】秘密情報機関の世界で学んだ成功と失敗Photo: Adobe Stock

秘密情報機関の世界で学んだ成功と失敗

諜報機関は、成功したことについては語らない。語らなければ、成功した手法を繰り返せるからだ。ところが、失敗したことは公にする。本書では、成功したことについても、失敗したことについても紹介していく。

そのうちの1つは、IT技術が驚くほど進歩したことに関係がある。私は1965年にはじめてお金をもらって働いたとき、英グラスゴーのエンジニアリング企業の計算部門で、初期の計算機に入力するために使う5穴鑽孔(さんこう)テープ用のマシンコードの書き方を学んだ。いまやスマートフォンを使えば、当時を上回る処理能力によって、世界中のどこにでもアクセスできる。IT化によって世の中はずいぶん便利になったが、本書の[レッスン10]で論じるように危険もたくさんある。

私は1969年に英ケンブリッジ大学を卒業し、政府通信本部(GCHQ)に就職したとき、諜報活動に数学とコンピューターを活用するという先駆的な活動があることを知った。そのため、理論経済学で博士号の学位を取得する計画と、英財務省で経済顧問を務めるという魅力的な誘いを諦めることにした。その代わりに選んだのが、情報・防衛・外交・安全保障に関わる公職に就くことだった。

英国防省では、政策担当官として情報をもとに大臣たちや参謀本部へ助言した。国防大臣の秘書室に3度配属され(1973年にキャリントン卿に仕えたときから1981年のジョン・ノットまで6人の大臣のもとで働いた)、危機における政治判断の重さを見てきた。また、良質な情報がいかに大事か、それがないとどんな問題が起こるかも知った。

英軍事顧問として、ベルギーの首都ブリュッセルにある北大西洋条約機構(NATO)本部に勤務したときは、情報が軍縮や外交政策を決めることを知った。また、英国防省の政策担当次官代理だったときは、旧ユーゴスラビアの危機に関する作戦情報を要求した。同時に、イギリスの最も重要な情報評価機関である内閣府の合同情報委員会(JIC)のメンバーを7年間務めた。

1990年代半ばに英国防省を離れ、GCHQに長官として戻ったときは、コンピューター技術によって大量のデータを処理・保存・検索できるようになりつつあった。当時、技術官たちがはじめて高速アクセス可能なテラバイトのデータの保管に成功したと誇らしげに報告をしてくれた。大きな進歩だったが、いまでは私の小さなノートパソコンでも、その半分の容量がある。

さらに重要なのは、ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の利用が増え、マイクロソフトの無料メールであるホットメールによって、eメールが信頼できる迅速なコミュニケーションの手段になり、インターネットが専門官にとって必須になったことだった。IT技術がいずれ、日常のあらゆる部分に浸透することがわかっていたため、GCHQも根本的な改革に迫られていた。

その後のIT技術の進展は、予想以上に速かった。

当時、スマートフォンはまだ開発されていなかったし、もちろんフェイスブックやツイッター、ユーチューブなどもなかった。グーグルは、米スタンフォード大学で研究プロジェクトの段階だった。

ほんの短期間で大きな革命的発展が数多く起こり、私たちの生活に影響をおよぼすのを見てきた。

20年もしないうちに、経済的・社会的・文化的な生活上の選択が、インターネット技術をいかに活用し、いかに安全性を確保するかに依存するようになった。後戻りはできない。

1997年、予想もしていなかったが、私は英内務省の事務次官に任命され、英情報局保安部(MI5)やスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)と緊密なつながりができた。そうした機関では、テロリストや組織犯罪など国内の脅威を特定して、排除するために情報を活用していた。英内務省が、人権法と生命・安全といった基本的権利と、個人や家族のプライバシーを守ることとのバランスを確保するため、調査権限を規制し、監督するための法律を制定したのは、この頃だった。

アメリカ同時多発テロ事件後は、初代内閣安全保障・情報調整官として、英内務省での任務が3年間続いた。そのポストにおいてJICにふたたび参加し、イギリスの諜報機関の健全性を守る責任を負い、最初の対国際テロリズム戦略を策定した。

本書では、諜報機関の者として、また情報の活用者である政策立案者の観点から、秘密情報機関の世界で学んだことを伝える。私は情報がなかなか手に入らないこと、つねに断片的で、不完全で、ときに間違っていることを苦労して学んだ。それでも情報をつねに使い、その限界を理解すれば、形勢を有利に変えることができることも知っている。

デビッド・オマンド(David Omand)
英ケンブリッジ大学を卒業後、国内外の情報収集・暗号解読を担う諜報機関であるイギリスの政府通信本部(GCHQ)に勤務、国防省を経て、GCHQ長官、内務省事務次官を務める。内閣府では事務次官や首相に助言する初代内閣安全保障・情報調整官(日本の内閣危機管理監に相当)、情報機関を監督する合同情報委員会(JIC)の委員・議長の要職を歴任したスパイマスター。『イギリス諜報機関の元スパイが教える 最強の知的武装術 ――残酷な時代を乗り切る10のレッスン』を刊行。