自分を知るための自己分析。頭で考えるだけでは、なかなか自分をうまく捉えられない。論理的に認識する自分と、感覚的に認識する自分にはギャップがあるからだ。だが、この不一致が時に様々なストレスを生み出している。自分らしい生き方を実現するには、まず自分を深く知ること。自分を知るには、「感情的自己」を捉えることが大切だ。そのために有効なのが「瞑想的に書く」ことである。
習慣化のプロとしてこれまで5万人を指導し、1000人以上をコーチングしてきた古川武士氏が、行き着いた最も効果的な習慣は「書く」ことだった。必要なのはノートとペンのみ。自分と向き合い、本当に大切なことに気づけば、生き方は今よりずっとシンプルになる。自分を整理するための「書くメソッド」を体系化した書籍『書く瞑想』から、一部を抜粋して特別公開する。
なぜ、自己分析はうまくいかないのか?
私たちが自分を知るというと、就職活動の自己分析のような過去の棚卸しを思い出します。
この「自己分析」という言葉は、左脳的な作業に終始している印象があります。
思考的な分析を全否定しませんが、私たちの中には3つの自分がいることを前提にすると、自己に対する視野が広がります。
1つ目は「思考的自己(頭)」、2つ目は「感情的自己(心)」、3つ目は「身体的自己(腹)」です。
頭と心と腹とのコミュニケーションがある中で、自己分析というのは頭とのコミュニケーションになりがちです。
往々にして、取り扱いが漠然としている感情的自己はスルーされていて、結果、自分がわからなくなります。
ここで目指したいのは、スルーさせている感情的自己、身体的自己を取り戻すことです。主題は「感情」です。
なぜなら、感情を通じて身体的自己つまり、腹の声が発する直感を受け取れるからです。
そこで、私は自己分析ではなく、「自己感受」と呼び換えたいと思います。
論理性ではなく、感受性です。感性回復のポイントは「考えるな、感じろ!」です。
自己感受のための書く瞑想のポイントは、心と直感から湧き上がる言葉を、思考で検閲しないことです。
しかし、意図しなければ実はこれが難しいのです。仕事や日常生活では考えることが普段の習慣だからです。
論理的思考の訓練にMECEという訓練が必要であるように、自己感受にも一定の訓練が必要です。
そこで、自己感受を感情的自己や身体的自己との対話として訓練しながら、探求していきましょう。
訓練ととらえれば、一足飛びにできると思う方が不自然であることに気づけます。
ポイントは、思考を脇に置いて、心に浮かぶ言葉を拾っていくことです。感情をつかまえて言葉にし、自己感受するための書く瞑想を行っていきましょう。
(本原稿は、『書く瞑想 1日15分、紙に書き出すと頭と心が整理される』からの抜粋です)