認知科学をベースに「無理なく人を動かす方法」を語った新時代のリーダー論『チームが自然に生まれ変わる』は、マッキンゼーやネスレ、ほぼ日CFOなどを経て、エール株式会社の取締役として活躍する篠田真貴子さんも絶賛する一冊だ。
リモートワーク、残業規制、パワハラ、多様性…リーダーの悩みは尽きない。多くのマネジャーが「従来のリーダーシップでは、もうやっていけない…」と実感しているのではないだろうか。部下を厳しく管理することなく、それでも圧倒的な成果を上げ続けるには、どんな「発想転換」がリーダーに求められているのだろうか? 同書の内容を一部再構成してお届けする。

「ずっとついていきます!」忠実すぎる部下には要注意なワケPhoto: Adobe Stock

危険な「自分ごと化」パターン

 前回の記事では、個人の行動変容を起こすうえでは、「組織のパーパス(目的)」と「個人のWant to(やりたいこと)」とが重なるポイントを発見する「パーパスの自分ごと化」というプロセスについて説明した。

※参考記事
すごく優秀なのに「がんばって働く意味」がわからなくなった人の話
https://diamond.jp/articles/-/291043

 こうしたときに、よく聞かれるのが「そもそもウチの会社には、パーパスとか経営理念らしきものがないんですが、どうすればいいでしょうか?」という質問だ。

 日々の業務のなかで、会社のパーパスを意識する機会はまずない。

 経営者がよほど頻繁にミッションやビジョンを発信しているのなら別だが、ほとんどの組織においては自社の「存在意義」が語られることなど、まずないだろう。

 だからこそ組織のパーパスは、埋もれて見えなくなっている。

 これは、個人の真のWant toが、日々のHave toによって覆い隠されてしまっているのと同じだ。

 組織にも膨大なHave toが存在し、その根本的な価値観は忘れ去られている。

 とはいえ、このようなケースはさほど問題ない。

 しかるべき「発掘」の作業をすれば、企業のパーパスらしきものは見えてくるはずだからだ。

 もっと厄介なのは、そもそも企業がパーパスを持っていないケースである。

 これでは個人のWant toと組織のパーパスを重ね合わせられない。

 しかし、パーパスを持たない組織は現に存在している。

 たとえば、いわゆる総合商社はパーパスと呼べるものを持たない傾向がある。
 総合商社というビジネスは、その時代環境にみずからを適合させながら儲かる領域で儲けるというスタイルを取るので、固定的なパーパスを設定することがかえってリスキーだと見なされるのだろう。

 また、外的な事情によって設立された半官半民企業なども、明確なパーパスが存在しないことが多い。
 もちろん、ウェブページなどを見れば、広告代理店に依頼してつくらせたような、もっともらしいステートメントが掲載されてはいるかもしれない。

 だが、経営陣も含めて誰も思い入れを持っていないケースがほとんどではないだろうか。
 つまり、誰からも「自分ごと化」されていない、まさしく「絵に描いた餅」状態のパーパスもどきだ。

 パーパスがない組織で働く人たちは、気の毒だがパーパスを「自分ごと化」しようがない。

 こういう会社でリーダーとして働く場合、個人のWant toに基づく内因的な原理を導入するのは、それなりのリスクを伴うだろう。

 要するに、各人がバラバラにやりたいことをやるだけで、組織としてのまとまりをつくることは難しいからだ。

 どうしてもチームの統率が必要であれば、「アメとムチ」方式の外因的なリーダーシップを採用するしかない。

 長期的に見れば、こういう組織からは人が離れていく。

 いくら業績や待遇がよくても、働く人たちには、その組織に所属し続ける「意味」が見当たらないからだ。

 だからこそいま、組織パーパスの見直しが、経営レベルでの急務になっている。

 他方、「物事はとらえ方しだい」とも言える。

 組織のパーパスが存在しないのならば、働く人々はわざわざ組織の価値観とのすり合わせをしなくて済むからだ。

「儲かるならば何をやってもOK!」「面白ければすべてよし!」という“自由な組織”に魅力を感じる人もいるだろう。

 そもそも組織としての統一的な方向づけが不要だという企業があり得るなら、あえてパーパスを掲げることはせず、「ひたすら各人の好きにさせる」という戦略も成立し得るかもしれない。

 ただ、いくら企業や組織に明確なパーパスがなくても、「上司のパーパス」に自分のWant toを結びつけるのはやめたほうがいい。

 日本のサラリーマン社会には、「この上司にはずっとお世話になってきた。この人にどこまでもついていこう!」と考えてしまう人たちが一定数いる。

 しかし、こうした属人的な「自分ごと化」はおすすめできない。
 持続性がないからだ。

 仮にその上司が転職なり異動なりで目の前からいなくなってしまったら、いったいどうするのだろうか。

 それを考えれば、「特定の個人のゴール」に自分のWant toを重ね合わせることのリスクがわかるはずだ。

 尊敬できる上司と巡り合えたのは喜ばしいことだが、自分のゴールは他者とは切り離して考えよう。